狛江サブカルチャー

狛江のサブカルチャー年表
コーナー

2008/7/29更新
更新部分には印をつけています。

狛江に関する「不真面目」な年表です。この年表は、狛江人にとっては(大)ニュースだったと言えるような出来事が書いてあります。
 また、この年表は管理人の「記憶」が全てで、正確さに欠くものが結構あるのではと思われます。間違いはメールにてどんどんご指摘下さい。

狛江人の皆さんにとって、「これは大事件だ」と思う「サブカルチャー的」で、ある程度主観的な思い出がありましたら、署名入りで掲載しますので、どんどん連絡ください。

この年表は、私達狛江人が作り上げる年表!決して完成することのない年表です!情報提供お待ちしています!

*黄色の字は情報提供いただいた部分です。

時代 年代 出来事 コメント
古代 7世紀頃 狛江各地に古墳ができる 亀塚が最も考古学的価値があった。
明治時代 明治5(1872)年 尋常小学校開校(現在の一小) 私が小4の時(1982)年に110周年だったので、多分合っているでしょう。
この時代、狛江は「狛江村」だった(小学校時代に「わたしたちの狛江市」の本で授業を受けた人は知っているでしょう)。
大正時代 この頃狛江で何があったはかよく知らない。知っている人、教えて下さい。
昭和時代 昭和2(1912)年 小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)開通。 確か「わたしたちの狛江市」に黒い車両の写真が載っていた(白黒写真なので黒じゃないかも)。
昭和20(1945)年 狛江が空襲を受ける この時のエピソードを知っている人も、教えていただきたいですね。
昭和26年 亀塚古墳の発掘調査開始。 私の実家もかつては亀塚古墳の一部だった。当時の写真や復元模型が昭和58年頃、豪徳寺(梅ヶ丘かな)の博物館で期限付き展示されていたのを見に行ったことがあるが、かなり大きな古墳だったようだ。発掘された銅鏡は上野の国立博物館に展示してある。前述の期限付き展示では、その銅鏡を国立博物館より借りてきて展示してあった。現在の写真はこちら
昭和20年代 町制施行。「北多摩郡狛江町」になる。
昭和30年代(かな?) 六郷用水が埋め立てられる 現在の狛江駅北口ロータリーと立体駐車場(旧西友)の間の通りがかつては六郷用水と言う運河だった。現在も多摩川にはそこに水を送っていた「六郷用水取水口」が残っている。狛江の小学校を出た人ならみんな社会科見学で歩いて行ったでしょう。
野川の一部が埋め立てられ、公園になる(現在の野川緑地公園 かつての写真を「わたしたちの狛江市」で見たことがあるが、野川の周りは一面田んぼだった。
昭和36年(1961)年 和泉多摩川列車衝突転落事故
狛江が全国的に有名になった3大事件のひとつです。
昭和36年1月17日に和泉多摩川土手の踏切にダンプカーが進入して、下り電車と衝突。
電車が鉄橋から転落して、1両目が川底に落ちて2両目が宙吊りになりました。衝撃的でTVの中継や新聞の一面トップだったと思います。(就学前の子供の時の記憶で曖昧です。)
→2008/7/29に、喜多見人さんより情報提供いただきました。ありがとうございます。
昭和37(1962)年 狛江一小に「いずみ学級」発足。 いわゆる知的障害児の学級。教室にトランポリンやおもちゃがあったので、私も小学校時代は、いずみ学級の教室に遊びに行ったことがよくあった。一小110周年の時に「いずみ20周年」も祝っていたので、この年で間違いないだろう。のちに狛江七小にも「えのき学級」ができる。
昭和39(1964)年 狛江保育園(私立)開設 狛江で初の保育園開設
昭和42(1967)年 和泉保育園(公立)開設 狛江で初の公立保育園
昭和45(1970)年 市制施行。 初代市長は吉岡金四郎氏。
昭和46(1971)年 狛江六小開校 (卒業生からの情報提供第1号です!)
昭和47(1972)年 管理人、市内で生まれる。 「出来事」に載せるべきじゃなかったかな。
狛江三中完成 三中と私は同じ年のはずなので。
市立中学の水泳記録会と陸上記録会が始まる。 これも正確かはわからないとのことです。
昭和48(1973)年 狛江高等学校開校 工事の遅れで実際あの場所で授業が開始されたのは2学期から。それまでは世田谷工業高校の教室を間借りしていた。狛江高校がある場所は高校ができるまではバラ園だった。誰でも入れていいデートコースだった。(だから、側に仙水がある?)池もあった。だから今でも狛江高校のグランドの水はけは悪い(2001/06/15)。情報提供ありがとうございます。
駄倉保育園開設 昭和42年以降、急速に保育園が増えました。
昭和49(1974)年 多摩川で洪水。民家が流される。 この事件で狛江が少し有名になったらしい。私もこの光景を親に抱かれながら見に行ったらしいのだが、はっきり言って全く覚えていない。これにかかわる訴訟も最近まで行われていた。
八小開校!? そうらしい。卒業生からの情報提供です。もしかしたら違うかもとのことです。管理人は昭和50年開校だったと思っておりましたが、これも自身ありません。
昭和50(1975)年 八小開校(正確情報) やはりこの年が正解でした。管理人も確か昭和50年というイメージが強かったので。
Sockerbonさんの情報提供によるものです。ありがとうございます。
昭和52(1977)年 「狛江市歌」「こまえ音頭」誕生! 市歌よりもこまえ音頭の方がみなさん馴染み深いでしょう!昭和52年、人口が増加し、市外出身の人が多くなったことで、愛郷心を高めるという目的で、狛江市歌と同時にできたものだということ。しかも市民の力で作られた歌。歌詞・MP3ファイルは市役所のサイトのここにあります。
昭和53(1978)年 映画「翼は心につけて」、全国公開。 狛江三中で実際にあったエピソード。かつて多摩川住宅在住で三中1年生だった鈴木亜里さんが骨肉腫を患い右腕を切断。それでも懸命に生き続けたが、高校入学4日前にして帰らぬ人となった。この話が石田えり主演で映画化。撮影も狛江で行われ、三中や多摩川住宅が出てきた(2001/06/04)。
昭和55(1980)年 狛江四中開校 なんと、もうなくなるらしい。
東秀狛江店オープン(多分この年)  このあたりから私も物心がついてきたので、記述がさらに「サブカルチャー」的になります。このお店、オープン当時から親に連れて行かれたりと、現在まで利用している。当時は「ラーメンギョーザ」と呼んでいた。
昭和56(1981)年 ハピーモア狛江店オープン(かな) 私の記憶からすると、狛江初のファミレス。それまでは調布の「すえひろ5」などに行っていたものだ。現在は閉店し、イタリア料理の店「フィオーレ」に変身。
都議会議員選挙ブーム 当時小学校3年だった私のいた「2組」だけのブームだったかもしれないが、「元木輝政」と「須田耕作」の一騎打ちで、クラスメートでも「元木派」と「須田派」に分かれて争いをしたものだ。ちなみに私は「ポスターの顔写真がかっこよかった」という理由だけで、「元木派」に属していた。政治に関しては全くわからないはずなのに、市内での激戦模様に便乗したクラス内でのブームだった。
昭和57(1982)年 デニーズ狛江店オープン(かな) 私の記憶からすると、狛江初のメジャーファミレス。オープンしたのは5月だったと思う。大学2〜4年次にここで調理のバイトをしていた。オープン当時は「スパゲッティーミートボール」なんていうメニューがあった。
タカラホールオープン 狛江初のパチンコ屋。詳しくはこちら
昭和58(1983)年 市民プールがオープン(かな) 狛江にもやっと市民プールができる。それまでは夏休み中に市内の小学校のプールをたらい回しで一般開放していた。これができるまでは遠く離れた調布市民プールまで行くか、値段の高い(小学生でも300円くらいした)防衛庁の運動場内のプール(現在は存在せず)に行くかのどちらかだったので、完成した時はうれしかったが、いざ行ってみるとあまり広くなく、結局再び防衛庁か調布に行っていた。毎年8月末に市民大会があり、高校時代水泳部に所属していた私は2回出場した。うち1回は狛江市民でない部員の友達と一緒に参加してしまった。もう時効でしょ。
昭和59(1984)年 ロッテリア狛江店オープン 狛江初の大手ハンバーガーチェーン。当時はこれは狛江市内では大ニュースだった。オープン時は大勢の狛江市民が押し寄せた。詳しくはこちら
昭和62(1987)年 狛江一小、東京航空計器横に移転。 私が卒業してから2年目に移転。旧校舎を取り壊すことに。非常に残念だったが、駅の真ん前という市内でも一等地に小学校があったのがまずかった。旧校舎の建物はこちら。また、旧校舎解体跡地に遺跡発掘(と言っても、遺跡があることは前からわかっていたらしいけど)。「弁財天池遺跡」と名付けられる。その中でも「敷石式住居」は珍しく、考古学的価値のあるものだったという。
昭和63(1988)年 市民祭り、自粛のため中止 天皇陛下の病状が悪化し、日本国内では催事を自粛し、中止にしたり、派手に行わなかったりといった、いわゆる「自粛ブーム」が起き、狛江でもこういう事態になる(2001/05/25補足)。こういうことは初めてだったのでびっくり。翌年1月7日、天皇陛下が崩御し、昭和から平成に。
平成時代 平成2(1990)年 小田急線立体化工事開始 この計画はかなり前からあったが、ついにスタート。
平成4(1992)年 管理人の成人式(正確には1993年1月)  こんなこと、ここで書くべきじゃないと思う人もいると思うが、今にして思うと結構サブカルチャーな出来事だったのだ。狛江一小(新校舎)体育館内で行われたのだが、来賓の面々がすごかった。
 まず、石井三雄市長。これは成人式なので当然。もう一人がすごい。その名は池田貴族!すでに故人となってしまっただけに、今考えるとすごい。「皆さんうるさいですねえ」とか「あそこのバスケットボールのゴールの下に幽霊がいます」とか言っていたのを覚えている。後にメジャーになり、まさかあれから10年も経たずに亡くなってしまうとは思わなかった。亡くなられた時、当時あの成人式に出席した私と同年の人々は、きっとあの頃を思い浮かべたに違いない。
狛江三中20周年 つまり管理人と同じく成人式を迎えたわけですね。
平成7(1995)年 小田急線がついに立体化
管理人は狛江を離れ、福岡に
踏み切りで30分くらい待たされて、部活の練習に遅刻しそうになるなど、冷や汗をかくような心配がなくなったのもつかの間、管理人は就職し、狛江を離れ、福岡に赴任することに。「あと5年ぐらい早ければ」と嘆く私であった。
マクドナルド狛江店オープン 狛江駅前再開発に伴い、狛江駅マルシェ内にオープン。隣にミスタードーナツもオープン。かつての狛江の発展の象徴的存在だったロッテリアが撤退後のオープン。かつてはマクドナルドが狛江にできるなんて想像だにしなかった。そして2003年からはFC東京を応援してくれています。感謝!
平成8(1996)年 石井三雄市長辞任。後任に共産党員の矢野裕氏。  私は当時福岡にいて、夜なんとなく「ニュースステーション」を見ていたら、いきなり見たことのある景色が出てきたのでびっくり。当時の市民の方には気の毒だが、私は「狛江がちょっとは有名になった」と、少し喜んでしまった。
 でもあの石井市長がねえ。実家が石井邸の近くと言うこともあってか、市議時代には小学校1年の私に握手してくれたり、黄色い原チャリに乗って実家まで来たりと、他人の感じがしないおじさんだった。まあ市長がバカラとばくにはまって数十億円の負債を抱えるようなことをしたら仕方がないでしょう。その後収賄も発覚し、逮捕される。
平成10(1998)年 10月1日(都民の日)、FC東京誕生。 狛江ももちろんホームタウンの一つ。
平成11(1999)年 FC東京、11月21日にJ1逆転昇格! これからは「狛江といえばFC東京」「FC東京といえば狛江」と言われるようにするのが私達の役目。
平成12(2000)年 「FC東京を応援する狛江人の会」発足。 是非この出来事を歴史に残したい。
平成13(2001)年 狛江四小八小が統合して、「和泉小学校」に。 寂しいですね。
平成15(2003)年
駄菓子屋「横山商店」が閉店 狛江の駄菓子屋の殿堂がついに閉店。少子化やテレビゲームの普及による子供の家にこもって遊ぶ習慣が普及したことにより、市内の駄菓子屋がことごとく姿を消し、ついにここも閉店。とても寂しい。私にとって一つの「時代」が終わったといった感じ。同じ思いの方もほかにきっといるはず。
FC東京選手サイン会実施 6月、狛江マクドナルドに三浦文丈選手と小林成光選手が狛江にやって来た!狛江でもこういった企画ができるようになるなんて、うれしくて、うれしくて、涙・・・。ちなみに翌年は増嶋選手が来てくれました。
平成17(2005)年 二小・七小が統廃合。緑野小学校に。 各校卒業生にとっては寂しい。これから新しい思い出を作ってください。
平成20(2008)年 東秀狛江店が閉店 6月いっぱいで閉店。中華の東秀の中ではかなり古いお店だったが、ついに28年の歴史に幕を下ろす。市役所前店は健在。