狛江サブカルチャー

狛江のあのスポットコーナー

ここでは狛江のサブカルチャー的なスポットを紹介します。
2008/1/24更新
印が更新部分です。

古墳 「狛江百塚」と呼ばれるほど狛江は古墳では有名
お寺・神社など お正月やお祭りには、今も出かける人も多いはず
公園 小さい頃遊んだことがあるでしょう
その他 いろいろみんなが知っていそうなところ。
狛江以外のスポット 狛江市にはないが、一部の狛江人にとっては超おなじみスポット
狛江伝説 これは知らない人が多いかも。

「ここも載せて欲しい」という方はメールを下さい。

相変わらず「記憶」が頼りなので、間違いを見つけた方、指摘して下さい。

古墳

亀塚古墳

平成12年撮影 平成17年撮影
 狛江では超有名な古墳「亀塚」と「兜塚」のうちの一方。元和泉1丁目21にある。都内では珍しい「帆立貝式前方後円墳」。昭和26年から本格的に発掘作業が始まり、現在は住宅街に囲まれ、直径10メートルほどの小さな山の上に記念碑だけが残る。「狛江百塚」の中でも考古学的価値は最も高い。ここで発掘された出土品(確か銅鏡だったと思う)は上野の国立博物館に展示されている。
 実は、私の実家はここのすぐそばで、小さい頃から「ドロケイ」の集合場所などにしたものだった。
なお、ここにはヨモギが生えており、よく親に頼まれてヨモギをむしってきて、家でヨモギ餅にして食べたものだった。また、この周囲に友達の家があり、改築工事の際、埴輪のかけらが見つかったことがあった。

Wさんより提供いただいた昭和32年当時の亀塚付近のの貴重な写真。右側の囲いの石は今も一緒ですね。
提供ありがとうございました。(2008/1/24)
Wさん「当時は宅地開発の初期の頃で亀塚はお山で、石碑のある頂上も高い所でした。徐々に周囲を削られ、今の姿になってしまいました」

兜塚古墳

 伊豆美神社の隣あたりにある円墳。ここは亀塚と違いかなり原型をとどめており、いかにも古墳という感じがする。小学校時代にクワガタを捕まえに行ったが、ここで捕まえたことはない。埴輪などが出土されたが、それらの考古学的価値は亀塚には劣る。

ヘビ山

正式名称は経塚古墳。泉龍寺の裏の通り(西友の前の通りと言ったほうが分かるかな?)に面していた小さい山。道がヘビのようににょろにょろしていることからこの名前がついたらしい。小学生時代、クワガタがいるスポットということで何回も行ったが、私はここでは一度も捕まえたことがない。これがあとで古墳だと知ったのでびっくり。今はマンションが建ってしまい、その陰に隠れて存在はしているらしい。また、ここは「ヘビ山」ではなく「ネコ山」と呼ぶという意見もある。

お寺・神社など

泉龍寺

平成12年撮影 平成18年撮影 お地蔵さんの頭の継ぎ目の秘密は狛江伝説参照
元和泉一丁目の狛江一小跡地の近くにあるお寺。私はかつて小学校時代には通学路としていつもここを通っていた。結構広いので、野球などをして遊んだこともある。また、小さい8人のお地蔵さんがあり、よくわからないが小学校低学年時代はここを通るたびにその前で拝んでいた(これにまつわる話は「狛江伝説」コーナーにて紹介)。
また、ここ数年、狛江市内のイベントもここで行われるようになり、平成19年8月には「みんなの夏まつり」が行われた。
隣には弁財天池(市民からは「しみず」の愛称で親しまれている)がある。

玉泉寺

和泉多摩川駅のすぐ隣にあるお寺。「河童伝説」がある。

伊豆美神社

平成12年撮影 平成19年撮影 お祭り(平成17年9月)
 中和泉2丁目の狛江八小の近くにある神社。狛江市民が毎年初詣に行く場所。毎年9月15日にお祭りがあり、御神輿が市内を回る。

岩戸八幡神社(2005/05/23に、読者の方より情報提供ありました。ありがとうございます)

ここは昔、川があって、土手にはなんと飲める湧き水がいっぱい出てました。現在は小田急線の複々線で立ち退いた元世田谷区民が大きな家を建ててます。バブルの頃に立ち退いた人たちは、結局一番得した人たちですね(笑)。


公園

西河原公園

公園内の池。昔は子供の水遊び場だった。 奥にある「公園」滑り台が独特の形。 中央の噴水。
 市内では最も有名な公園かもしれない。多摩川沿いにあり、その反対側に福祉会館(西河原公民館)がある。ここには芝生や噴水・池があり、子供の頃は家族や友達とよく遊びに行ったものだ。特に奥の方にある池は、かつては休日になると、入って水遊びをする子供たちでいっぱいになった。私もその一人。桜の咲く時期になると花見客でいっぱいになる。さらにかつてはTBS系で放映していた「ケンちゃんシリーズ」の撮影をよくやっていた。またまたついでになるが、私が一小に入学する1〜2年前、毎年行っている「こどもの国」への全校遠足が雨天のため延期になった時、貸し切り電車の手配ができなくなり、急遽ここで遠足をすることになったことがあったらしい。

野川緑地公園

 豊栄狛江マンションのあたりから北へ細長く続く狛江最長の公園。と言うのもここはかつては川が流れていたのである。終点まで700メートルぐらいで、そこから先は野川に沿って、サイクリングコースが続いている。かつての川だった頃の写真を持っている人がいたら、掲載したいので是非連絡下さい。

ゴロゴロ山(田中の池児童公園)

かつて「山」のあった場所。
現在は駐車場。
平成17年撮影。この滑り台はかつてはなかった。
ジャングルジムの手前に廃車になった消防車があった。
平成19年8月撮影
かつては草野球をよくやったけど、今は滑り台が邪魔でやれないな。
 元和泉2丁目の市民テニスコートの向かい、「田中の池児童公園」のことをそう呼んでいた。ちなみに私の実家のすぐ近く。なぜこんな名前で呼ばれていたかというと、昭和57年ぐらいまで、公園の横に小さい山(というより土のコブ)がごろごろと並んでいたから。ここを自転車で走るのがなかなか面白かった。いずみ幼稚園のバスでも、停車スポットがこの近くにあり、「ゴロゴロ山前」とアナウンスしていたのを覚えている。また、昭和56年頃まで、廃車になった消防車が置いてあった。また、この公園は私が5歳の時、生まれて初めて補助輪無しで自転車(ピーターパンと言う車種)に乗れるようになった場所でもある。

和泉多摩川児童公園

平成12年撮影
砂場の動物がここの特徴。
平成17年撮影。
砂場がカラーコーンで囲まれる。
平成19年8月撮影
砂場に猫よけの柵が。
 狛江高校の近くにある、狛江市内では野川緑地公園・西河原公園に次ぐ広さを持つ(と私が信じている)児童公園。中心に砂場があり、その周りに動物のオブジェ(?)がある。その動物の年齢はかなり上、多分私が生まれる前からあったのでは?カンガルーやタヌキは今もあると思うが、私の小さい頃はそれ以外にカバやウギもいた。ゴロゴロ山と同じくかつては廃車になった消防車が置いてあった。小学校時代は近所の友達と草野球に出かけ、ここで知り合った他の小学校の子供と対戦したものだった。


その他

六郷用水取水口
五本松

↑が六郷用水取水口。かつて多摩川沿いの大通り(いわゆる西友の前の大通り)は「六郷用水」という運河だった。そこに水を送っていたのがここ。 ↑右側の松が五本松。よくここではTVドラマや映画の撮影が行われている。ここで結構芸能人をみたものだ。「多摩川いかだレース」のスタート地点もここ。
なお、左奥に見える塔が多摩川住宅の高架水槽。昭和42年に放送された「ウルトラセブン」の45話「円盤が来た!」ではここがロケに使われた。昭和48年の洪水の前ね。ここに載っています。

ペリー来航記念樹

 元和泉一丁目にある、狛江のイメージとはあまりマッチしない、なかなか洒落た大木。19世紀半ばにペリーが来航した時に植えられた木だったが、私の手元に資料がなく、エピソードはあまりよく覚えていない。現在はどうやら伐採されてしまったらしい。今年になってこれを知ってビックリ。その経緯を知っている方、教えて下さい。また、かつての雄姿の写真を持っている方も連絡下さい。

防衛庁スポーツセンター

 確か元和泉3丁目にある、国家公務員の厚生施設。今はグラウンドとゴルフの打ちっぱなしがあるが、かつてはプールがあって一般開放していた。管理人も小さい頃よく行った。市民プールがオープンしてから、そっちにシェアを奪われ、昭和63年頃に閉鎖になったらしい。でも、市民プールよりもなんせこのプール、飛び込みOKでルール無用に近いところだったので、私はここが好きだった。値段は高かったけど、結局こっちに行くことが多かった。プールの外ではフランクフルトを売っていて、これもまたうまかった。
☆拓樹さんの体験談
近くに住んでいたので、夏はここのプールにガンガン通い、監視員の兄ちゃんと友達になってました。ここの野球グラウンドは、台風シーズンなど災害モードになると、輸送ヘリが陸自の皆さんを載せてバラバラバラバラッと大量にやって来る場所でした。今はどうなんでしょう。たしか、決壊の時も大勢来てました。発破作業も陸自だったような・・・?

狛江ショッピングセンターの釣堀(2003/04/30に読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

そこの前にあった綿飴(自分で作れた)¥50−だと思います。あの釣堀は、屋外で長竿でよかったのに・・・

釣堀

記憶が定かではないのですが、国本(?)幼稚園だったかな.このそばに室内の釣堀があったと記憶しています。他にはショッピングセンター(狛江ではなく,調布ですけど)にもありましたねぇ。(今もあったらすいません)。ショッピングセンターと言えば、今は葬式の宣伝に出ている大野しげひさ(?)が機関車にのってる変なドラマで撮影したこともありました。なんせ30年も前の話ですいません。(2002/12/20に、釘師さんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)

この変なドラマは、たしか「チビラくん」だと思います。日産自動車教習所近くにある異常なほどの真っ直ぐな急坂があって、その坂の頂上にに丸い窓のサイコロのようなビルがありました。それが「チビラくん」の家という設定でした。この「チビラくん」こそロボコンなどの走りになったと聞いたことがあります。その聞いた人は祖師谷大蔵の円谷プロだったりします(笑)。結構、狛江では有名だったと思いますよ。多摩川でもよく撮影してました。自分で書いててすんごく懐かしいです。ここらへんに建物がありました。しかし、この急坂・・・雪の日に見たことあるのですが、車が8台も玉突き事故を起こしてた。なぜあの坂を雪道で走るのか・・・ナゾです。きっとチビラくんのせいでしょう。(2005/05/25に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。)

 そこの前にあった綿飴(自分で作れた)¥50−だと思います。あの釣堀は、屋外で長竿でよかったのに・・・(2003/04/30に読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

駒井町の釣堀(2005/05/23に、読者の方より情報提供ありました。ありがとうございます)

実は駒井町もあったのです。今は営業をやめてしまいましたが、当時の堀は残っています。駒井町1−17でした。

梨畑(2005/05/23に、読者の方より情報提供ありました。ありがとうございます)

和泉多摩川から世田谷区宇奈根にかけて、たくさんありました。駒井町の京王ストアも大きな梨畑でした。

ザリガニの釣れる場所(2005/05/23に、読者の方より情報提供ありました。ありがとうございます)

現在、喜多見中と喜多見団地があるところは、広大な空き地で、池もいくつもあり、ザリガニが煮干でたくさん釣れました。慶元寺のとなりも大きな釣堀がありましたね。このあたりでは珍しい、鯉以外のヘラブナ専用堀もあったほどです。

狛江高校ができる前にあった貯水池と三中ができる前の浄水場(2008/1/26に、Wさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)

昭和23年に米軍が撮影した狛江の上空写真を見ると南側の現在狛江高校がある場所が大きな貯水池になっています。ここにはバラ園があり1小の写生会で何度も行きました。
昔の地図には「淡水クラゲ発生地」とも書かれていたこともありました。
現在3中がある、旧都水道局浄水場、表向きは、立ち入り禁止でしたが、芝生がきれいで、公園替わりの憩いの場になっていました。

狛江以外のスポット

向ヶ丘遊園(2001/10/03に少し解説を詳しくしました)

 説明するまでもない、川崎市多摩区にある遊園地。昭和2年、小田急電鉄(当時は小田原急行鉄道)開通と同時に開園。小田急線向ヶ丘遊園駅を降りると直行モノレールがある(平成13年3月に廃線)。ここに入って驚くのがまずあの階段だろう。山の斜面に遊園地があるということで、結構な段数がある。今はエスカレーターがあるが、かつては有料のリフトに乗らない場合は、歩いて登るしかなかった。アトラクションは観覧車とスカイハリケーン(昭和56年頃完成した1回転ループのジェットコースター)が目玉。夏はプール、冬はアイススケートができる。
 昭和51年あたりに完成した大観覧車は当時日本一の大きさを誇っていた。
 ここには私は何度も行ったが、遠足で行ったのは小学校1年の時(入学して間もない頃)のみ。しかもアトラクションで遊ばず、「バラ園」でお弁当を食べただけだった。
 ここでのエピソードが一つ。幼稚園年長の頃、当時仲の良かった「アシザワ」君(私より1つ下。幼稚園卒園前に引っ越したので現在身元不明。「あのお店コーナー」で出てくるのと同一人物)と、そのお母さんとここに遊びに行ったのだが、その際「がんばれロボコン」のムーバー(100円を入れたら動く乗り物。最近薬局で「サトチャンムーバー」をよく見かける)に乗った記憶がある。そして、それから実に11年後の高校2年の時に向ヶ丘遊園に行く機会があり、その場所を通ったら、なんとまだあのロボコンが、かつてと全く同じ場所に置かれていた。多分もう動かなかっただろうが、これには懐かしさと同時に向ヶ丘遊園の変な意味での「すごさ」を感じた。あれは今もあるのだろうか?
→平成14年3月、昭和2年の開園以来75年間の幕を閉じます。子供たちに夢をありがとうございました。

こどもの国

 東京都町田市にある、アウトドア志向(?)のレジャーランド。狛江一小卒業生ならまず知っているであろう。毎年行われる全校遠足の場所がここだった。大体各学年2人ずつで班を構成し(つまり1班あたり約12人)、園内で班別行動をとるのが特徴だった。私は1年次は「41班」・2年次は「38班」・3年次は「22班」(ただしこの年は雨天順延となり、場所も砧ファミリーパークに変更)・4年次は「わすれた」・5年次は「わすれた」・6年次は「多分12班」だった。6年次は私は班長をつとめた。体操着の胸に班の番号のゼッケンを付けて行動した。
 全校遠足以外でも、中学2年次の遠足で飯盒すいさんを行ったことや、大学2年次に部活の新入生歓迎旅行をここで行い(なんと私の提案)、バーベキューパーティーを行ったことがある。
 ここにはかつてはすごく長い滑り台やジャブジャブ池(はっきり言ってただの浅いプール)が目玉だったと思うのだが、大学時代に行った時、その2つは姿を消していた。今でも一小の全校遠足をここでやっているのだろうか。