狛江サブカルチャー

狛江のあのお店コーナー

2013/1/20更新
印が更新部分です。

情報提供はいつでもお待ちしていますよー!

 

駄菓子屋編 小中学生の憩いの場。知るひとぞ知る駄菓子屋を紹介
おもちゃ屋・プラモ屋編 かつてファミコンやガンプラにはまった人もいるでしょう?
「女の子のお店」編 恥ずかしいけど、2000/08/08 に開設しちゃいました。
商店・スーパー編 主婦の方もかつて一度は買い物に行ったことがあるはず
飲食店編  狛江の発展ぶりもわかるお店が勢ぞろい。
アミューズメント・旅館編 キミは「伊豆こまえ荘」を知っているか?
その他のお店編 何でもあり。みなさんの情報提供お待ちしています。
*これを読んでいる皆さんも「これを是非載せてほしい」というお店があればメールかサブカルチャー掲示板に書き込んで下さい!
*ほとんど記憶が頼りなので、間違いがかなりあるかもしれません。発見したらご指摘ください。

駄菓子屋編

横山商店

  狛江の駄菓子屋の殿堂(!?)。
中和泉一丁目にある。現在も存在する。
狛江一小・八小にいた男ならかつて一度は行ったことがあるはず。われわれの間ではなぜか「ちゃや」と呼ばれいた
(その呼び名は、看板に「おもちゃとお菓子」と書いてあった ところから来たのでは無いでしょうか。→2001/08/22に読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)。親や学校の先生の目を盗んでいつも通っていた。
ビデオゲームが3台ほど置いてあり、われわれの間で「ドンキーコング」「ゼビオス(なぜか「ゼビウス」という名前ではなかった。
でもゲームはまったく同じ。)」「
Mr.Do」「タイムパイロット」「ペンゴ」が流行。また、高校になってからここを通りかかって、入ってみたらなんと赤外線センサーが設置されており、入ったとたんおばあちゃんが店頭に出てきた。駄菓子屋らしからぬものを置いたので、これは減点1ですな。
→平成15年春、ついに閉店しました。お疲れ様でした。

岡田屋

 和泉多摩川の銭湯「和泉湯」の隣の隣あたりにあった。昭和57年ごろに姿を消す。眼鏡をかけて爪の短いじいさんがいつもいたが、駄菓子屋ラーメン「ミニヌードル(表紙に男の子と女の子の絵が書いていたやつ。結構うまい。)」をその場で食べる際お湯を入れてもらうとプラス10円払わなければならないというけちな店だった。

チャイルド正確には「ちゃいるど」という情報を極まろさんより2001/11/03に提供いただきました。ありがとうございます。

 狛江六小の近くにある。今も存在するかは不明。私は今は亡きいずみ幼稚園に在籍していたので、幼稚園時代はよく行った。→2000/09/18、狛江サブカルチャー取材班が「消滅」確認
こまいっこさんの情報提供!(2001/10/24)
駄菓子屋と釣具屋「うらしま」を同じ店舗で経営していました。 お店にはおばさんと、そのお母さんであるおばあさんがメインでいたように思います。
おばあさんの方は、ご主人と店の2階に住んでましたね。 おばさんには2人の息子がおり、長男は狛江六小時代私の同級生で、彼が店に居るときはよくおごってもらいました。 当時としては、駄菓子の品揃えは他店より良かったと思います。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
子供の頃、よく通ってました。さいカップラーメンにお湯を入れてくれてその場で食べられました。オプションとしてラメック(ベビースターみたいな物で当時10円)を入れてすいたお腹を満たしていました。
またマルキンといういろんな色があるアイス?10円でくじを引きハズレだと人差し指ぐらいなサイズであたりだと一回り大きいものがゲットできました。当時ファミコンが流行った時にこの店でも少し扱っていましたが店に泥棒が入り、次の日何も知らない友人がお店に行った際、パニくっていたお店のおばさんにいきなり犯人扱いされたそうです。

チャイルド2

 和泉多摩川商店街のパチンコ屋「タカラホール」の真向かいに昭和57年頃にオープン。正確には駄菓子屋というよりおもちゃ屋に近かった。もちろん前述の「チャイルド」の姉妹店。なかなか明るいおばちゃんがやっていたが、オープンから5年後くらいに早くも姿を消す。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
この店舗を開く前に2のおばさんはちゃいるどでしばらく勉強していたのを覚えています。この店舗でもミニラーメンが食べられました。

けだや(「げたや」だったかもしれない)→読者の方の情報提供により、「げたや」と判明。

 はっきりいってこの店はよく覚えていない。たしか狛江三小の近くにあり、木造の古い建物だった。店内にはコインゲームが何台かおいてあったような気がする。多分昭和57年ごろに閉店。この店のこと知っている方、メール下さい。
昔は本当に「下駄」を売っていたらしいとのことです。また、店舗の古さから「ボロヤ」という愛称(?)もあったとのことです。情報提供ありがとうございます。(2000/08/03)
下駄は本当に売ってました。まあ、駄菓子を買いに入り浸っていた私でさえ、売っている場面に遭遇したことはありませんでしたが・・・。ここの店番はおばさんと、おばあさんだったように思います。おばあさんの方がちょっと優しかったかな、、、。ビデオゲームも1台ありました。

この店のいいところは、お菓子がガラス窓付きの木箱に入っていて、なんとも老舗感覚の駄菓子屋だったこと。 (2001/10/24に、こまいっこさんから情報提供いただきました。ありがとうございます


げたやは東和泉二丁目の一方通行の途中にあったお店で今は普通のお宅で家主さんは、変っていないそうですです。(2002/04/18に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。)


「げたや」はうちの近くで「たまごや」とも呼ばれてました。うちのおばあちゃん(故人)はサンダルをそこで買ったことあります私はガラスのケースに入ったあめ玉(糸がついてる)が好きでした(2003/01/14に、いずみさんから情報提供いただきました。ありがとうございます

Yさんの情報提供!(2007/03/18)
ここもよく通っていました。
私の時期は店番はおばさんでした。既におばあさんは引退し、店の横の玄関(扉が透明ガラス)でいすに座り日向ぼっこしていたのを覚えています。
当時、店番のおばさんは「おばあさんが亡くなったらお店を閉める」と言っていました。

こいそ(2000/08/11 に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます。)

 伊豆美神社から四小方面に進んでいった方にあった駄菓子屋。平成6年頃姿を消す。お店のおばちゃんはとてもやさしい人だったとか。
そういえば伊豆美神社のお祭りの日などには管理人も行った覚えがある。
正確には「小磯商店」と書いてあった記憶があります。 高校の帰りにも寄ってたなー(2001/08/22に読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)。

やまよ

(岩戸南四丁目にあったそうですが、管理人は全く知りません。情報提供お待ちしております)
正確には「ゆめのやまよ」(だったと思う):岩戸南4丁目
駄菓子屋というよりは、おもちゃ屋のイメージが強かったかな・・・ 当時は今で言うアニメ版トレカのようなものが流行っていて、特に天才バカボンのカードが中心でした。私も親にテキトーな理由を付けて小遣いをもらい、良く買いに行きましたね。 ここは、あまり長く続かなかったな〜。 何故かわからないけど、親に行かない様に言われていた。
(2001/10/24に、こまいっこさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)
みちよさんの情報提供!(2006/08/12)
もう何も商売されていません。 増築されたので、当時と印象がちょっと違うかもしれませんね。 砧浄水所(喜多見でんき)の近くの車は行き止まり(自転車、バイク、歩行者は通行でき ます)の路地を入ります。

いしぐろ

(二中の横にあったそうですが、管理人は全く知りません。情報提供お待ちしております)
こまいっこさんの情報提供!(2001/10/24)
水道道路の道路沿いにたたずむ小さなお店でした。 狛江ニ中正門から駅方向に向かい、水道道路の交差点を右折した50m位先の左側にある石黒さんが経営してたと思います。いつもおばさんがいて、息子さんは私のニ中時代の先輩です。 今はもう、建物すらありませんが、駄菓子のほかにプラモデルやボードゲームが売っているお店でした。
みちよさんの情報提供!(2006/08/12)
いしぐろ は二中の同級生の子の家でした。(妹の方ですのでお兄さんとはちょっと年が 離れていたと思う) 中学生のときは既に開店休業状態でしたので、かれこれ23〜4年経っています。 倉庫の中にレア物のプラモデルが残っていて、同級生の男の子は垂涎の的でした記憶があ ります。

高野(2000/11/15 に、エネスタ祖師谷さんから情報提供いただきました。ありがとうございます)

 岩戸南郵便局近くにある駄菓子屋で、今も健在。これを更新した時点の記録では、狛江にある駄菓子屋はここと横山商店のみ。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
ここは自宅の近くで昔八百屋でした。隣に肉屋もあったんですよ。週刊少年ジャンプが物凄い流行った時期(20年ぐらい前)一般には月曜販売でしたが土曜日に販売してました。
私の中では駄菓子屋とイメージがありません。

原商店(2001/06/02に、サブカルチャー掲示板にて情報提供いただきました。ありがとうございます)

通称はらさん。反町眼科の近くにあるとのことです。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
商品は少ないですが駄菓子屋です。冷えたすももとさくら大根が大好物でした。
また店頭にあったコスモスのガチャガチャにもはまってました。

明治牛乳(を売っているお店なんでしょうか 2001/06/02にサブカルチャー掲示板にて情報提供いただきました。ありがとうございます)

丸正銭湯の近くにあるとか。これで現在狛江には5つの駄菓子屋があるわけですね。

早川商店(2001/06/17に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

神代団地の近くの神社の真ん前にあった駄菓子屋。その後、塾に建て替えられていましたが現在はどうなっているか不明。(昭和40年代)
→どうなったかは、私もわからないのですが、この店の娘さんとは2小・1中と同級生でした。ここの方達がどうしているのか知っている方がいらっしゃったら、とりあえず管理人M1にお教え下さい。(2002/03/13に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

波多野商店(2001/06/17に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます

狛江高校前にあるお店。狛江高校ができる前、多摩川に遊びに来た人にラムネなんかを売っていた。高校がきてすごく羽振りが良くなってベンツに乗るようになったのは知っていたがついに豪邸を手に入れたのか

東洋堂(2006/08/16に、みちよさんから情報提供いただきました。ありがとうございます

二中、三小の近くにあった、東洋堂のちにセブンイレブンになり、先日帰省したと きはアパートになっていました。 学校の近くですのでお決まりのように、文房具やお菓子(駄菓子ではなく)が置いてあり ました。

Yさんの情報提供!(2007/03/18)
もともと商店と文房具屋の店があり、その後コンビニスタイルの「マイ・マート」に。後にセブンイレブンとなり文房具屋は別の店舗を構えていました。
セブンイレブンは今はないですが文房具屋は今でも残っていると思います。

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おもちゃ屋・プラモ屋編

ホビークラフトセンター

 田中橋のところにあったプレハブでできたプラモ屋。かつてガンプラが流行ったときは入荷のたびに行列ができた。昭和60年頃にラジコン専門店になり、それからわずかの期間で姿を消す。

ベガ

 狛江というより喜多見寄りにあったプラモ屋。通信研究所(かな?)の近くにあったショッピングセンターのテナント。店のおばちゃんがひょうきんなひとで、よくダジャレを言っていた。昭和62年頃姿を消す。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
小さい店舗でプラモ屋ですがNゲージも結構扱っていました。当時、店のおばさんが「今度店を狛江駅のロッテリア付近に引越しするから」と
言っていましたがその後は未だ不明です。

店名不明(2001/01/12に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。)
→うららさんの記憶では、「趣味の店・ホビー・ロダン」だそうです。(2002/12/28)

昭和50年代なかばに3小の裏門の辺りにも模型屋があったはずです。3年ぐらい持ったかな。
→店名など、知っている方いらっしゃいましたら情報提供お願いします。

喜多見トイス(2000/11/20に一部修正 )

 喜多見駅近くにあった。多分今もあると思う。
かつてファミコンブームのときにメーカー希望価格
14800円のファミコン本体を12000円ほどで販売し、「新宿より安いよ」というPOPが書かれていたが、私はその数ヶ月前に新宿で9800円くらいで本体を購入していた。店主は頑固そうなオヤジだった。

→すでになくなっていることが判明。エネスタ祖師谷さんの情報提供によるものです。ありがとうございました。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
見た目はめがねをかけた頑固そうなオヤジでしたがしゃべるとまじめないいおじさんでした。
ファミコンが流行った時代、ディスクシステムの書き換えの機械も置いてありました。ちなみに私は当時ここでゲームウォッチを買った事があります。

宝島(2000/08/30に一部修正)

 喜多見の国本女子高校の近くにあったおもちゃ屋。現存するかは不明。管理人はあまり行ったことはないが、小5の時に「BB弾」を買った覚えがある(本当はこれを買ったらいけないんだけどね)。→2000/08/30 読者の方からの情報提供により、現存することが判明。今も昔のようにプラモデルがたくさん売っているとのことです。情報提供ありがとうございます。

へいさんどう

 喜多見商店街にあるプラモ屋。同店舗内で和菓子も売っているという珍しい店。
→鉄道模型専門店として、現存するとのことです。読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます
→お菓子屋さん」で創業したとのこと。ガンプラブームの時の「模型と和菓子の店」は過渡期だったようです(2002/04/23に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
和菓子屋ですが、確か旦那さんが鉄道好きで鉄道模型を開いたと記憶しております。
この店でも当時Nゲージを買ってもらった記憶があります。

のぼりと模型→2001/04/20に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます。

登戸駅と向ヶ丘遊園駅の間にある登戸ハイデンスというマンションの1階に入っていた模型屋。鉄道模型(Nゲージ)がメインだったように思います。今は多分、ないでしょう。

ホームラン堂(→2001/08/24に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

おもちゃ屋か駄菓子屋か、記憶が定かではありませんが、 都営狛江団地(小田急バス狛江営業所のあたり)の裏にあったと思います。 怪獣ケシゴムやメンコを買った記憶があります。現存せず。

バンビ(→2001/08/24に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

都営狛江団地のあたりにあった小さなおもちゃ屋。現存せず。

杉の木(→2001/08/24に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

多摩川住宅ネタですが、中央にある12階の建物(住所は染地)、 通称「12階」にあったおもちゃ屋。ここは多摩川住宅に住んでいた男の子なら知らない人はいないんじゃないでしょうか。(ちなみに今は存在しません。)

「マミー」と「屋代」(→2001/08/24に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

ひかり商店街にあったうおもちゃ屋。(この店は高校に通ってた頃に無くなった記憶があります。)
その向かいには「屋代(やしろ)」という文房具屋があり、みんなここで文房具を買っていた記憶があります。(今はありません。) そのお店の女の子とは同級生でした。

(名称不明)→2001/11/03に、極まろさんの情報提供により「城南模型」と判明。

岩戸南4丁目、ゆめのやまよの先に立派な模型屋がありました。
丁度砧浄水場の前にあったのですが、ラジコンカーや高めのプラモデルがたくさん置いてありました。
今思えば、模型好きのおじさんが脱サラして経営していたような感があったな〜。
おそらく、喜多見にある(った?)ベガより充実していた。 (2001/10/24にこまいっこさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)
→スーパーカーブーム後期の昭和53年頃に開店しました。開店記念に配られた店名入り作業ボード(机に敷くアクリル板)は、最近まで家にありました。
強く記憶に残っているのは、店主催の自動車のプラモデルのレースです。
レースといっても、昨今のミニ四駆のそれとは違い、直進のタイムを競うというものでしたが。当時、浄水場の南側に袋小路の道路があり、そこが競技場でした(現在は門が手前にできてしまい入れない)。結構、参加者は多くて、表彰式の時には店内がぎゅうぎゅう詰めになるほどでした(ちなみに、優勝は店主の身内)(2001/11/03に極まろさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)

と、一時は盛り上がっていたものの、2〜3年後に(ガンプラブームの起きる前)店をたたんでしまい、「城南ダイヤル」という機械部品の製作所(?)になってしまいました。

(名称不明)→2001/11/03に、極まろさんの情報提供により「ピノキオ」と判明!

猪駒通りのおもちゃ屋。いずみ幼稚園の向かいに、おもちゃ屋さんがあったはずです。
名前は忘れましたが、当時では数少ないおもちゃ屋のひとつで、駒井・猪方近辺の子供達で賑わっていました。
親からプレゼントもらう時は、ここか新宿の小田急デパートでしたね。(2001/10/24にこまいっこさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)

キューピー?(2007/03/18、Yさんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)

店舗名はひらがなだったかカタカナだったか忘れてしまいましたが、世田谷通り二の橋付近にあったおもちゃ屋。
扱っていた商品は確か駄菓子屋に売っているようなおもちゃが大半だった記憶があります。

「女の子のお店」編(2000/08/08に管理人が勝手にUP)

ロビン

 狛江通りと小田急線が交差するところにあった女の子向けのグッズショップ。現存しないが建物は健在。確か最初の店舗はここになかったような気が・・・。管理人は一度入ったことのあるような覚えがある。小中学生の女の子が好きそうなサンリオグッズなどが売っていたと思う。しかもここの2階は「スタジオロビン」といって、かつて日曜夜7時半からのアニメ「名作劇場」(?)の制作を行っていた。「アルプスの少女ハイジ」(実は裏番組にあの「宇宙戦艦ヤマト」があった)・「ペリーヌ物語」・「あらいぐまラスカル」・「赤毛のアン」・「トム・ソーヤの冒険」・「不思議な島のフローネ」などをやっていたのかな。ちょっと自信がないけど。

マミーポット

 和泉多摩川の玉泉寺の向かいにある小さな女の子向けのグッズショップ。今もしっかり存在。さすがに私は前を何度も通ったことはあるものの、中に入ったことはないと思うが、ここで、かつてはやった「タマネコ」グッズを買った事があるような気もする。
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
佇まい自体がファンシーな感じでした。当時ここでキキ・ララの電卓を買ってもらった記憶があります。

たんぽぽ

 ここを知っている人はすごい!かつて元和泉2丁目(かな)の田中の池公園(ゴロゴロ山)の前の通りの住宅街の中にポツンと立っていたすごく小さいお店。昭和59年頃に姿を消す。女の子向けグッズばかりのお店だったが、実は私はここには何度も行ったことがある。別に変な意味じゃなくて、かつてガンダムブームの時に、ここでなぜかガンダムのステッカー(といっても駄菓子屋で売っているような版権が怪しいものだったけど)が売っていたのだ。当時、姉からこの情報を聞いたので、お店のおばちゃんに顔を覚えられるくらいよく行ったものだった。ここを知っている人がいたらうれしいですねー。

ファンシーショップ


喜多見駅の南の跨線橋脇にもファンシーショップがあったはず。立体化の用地買収で消えた記憶があります。
(→2001/01/12に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

→まんまファンシーショップと言う名前だったと思います。今、酒屋さんとか郵便局とかが入っているビルの所ですよね。 (2001/05/2に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)
みちよさんの情報提供!(2006/08/16)
用地買収で消えたところなら、1Fがポケット ゲームなどが 売られていた店で(名前は不明)2Fが ゆき って名前じゃなかったでしょうか? イチゴの紙袋に商品を入れてくれてました。 当時の記憶では、制服を作っているお店(どもと??)のすぐ近くに線路をまたぐ橋があ り その脇でしたので・・・。

パピー(2001/10/14に、読者の方(四小・三中卒)より情報提供いただきました。ありがとうございます)

女の子専門の店。中和泉あたりにある。今もあります。昭和56年開業。ここのおばちゃんがとてもきさくで、50才くらいなのだが記憶力がとても良く、一度来て名前を教えると必ず覚えられます。小中学校の女の子が多く、小学校から来ている子だと、たまに高校生や大人まで来ます。またガンダムとかポケモンもあるため、男の子もたまに来ますが、こわいおにーちゃんはいやがられます。
→平成16年10月中の前の早朝(7時頃)に前を通ったところ店の中が空っぽでした。棚もなにも無い状態でした。もしかしたら閉店したのかもしれません(2004/11/07に読者の方に情報提供いただきました。ありがとうございます。)

ビーズ(2001/10/14に、読者の方(四小・三中卒)より情報提供いただきました。ありがとうございます)

狛江三中生のなかで一番多いと思われる制服はタカノブ。そのタカノブの隣にあったキティちゃんとかサンリオけいのものがいっぱいおいてあったお店。結構広くて、かわいくって評判だったんだけどいつのまにかなくなってました。ここでメンバーズカード(?)を登録すると誕生日にはがきがきて何%か商品が割引される。

???(2002/05/02に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)
→いずみさんの情報提供によると、「あずまや」という店名だったらしいです。(2003/01/14に情報提供いただきました。ありがとうございます)

和泉多摩川の駅の近くに、小さなお店が一つありました。お寺の門の近くのではなく、です。 私の記憶では、線路を渡って(私は駒井に住んでいました。)すぐの右側にあったと思います。 そこで、友達へのプレゼントに貯金箱を買った記憶があります。 名前は忘れちゃいましたけど。

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商店・スーパー

ダイエー向ヶ丘店

 神奈川県川崎市にあるが、この店は狛江市民の勢力範囲内にあった。
もちろん今も存在する。狛江市民にとって「ダイエー」といえばここを指す。
日曜日に家族で車に乗って出かけるのが小さい頃の私の最大の楽しみだった。
テナントにラーメンの「寿がきや」があり、ラーメンとソフトクリームをよく食べた(現在は撤退)。
また外にはドムドムバーガーがあり、ハンバーガーショップがまだ珍しい頃、友達と出かけたものだ(現在はウェンディーズに変わった)。さらに3階に原宿に本店を置くおもちゃ屋「キディランド」やゲームセンター(“こうらくえん”と表記された看板があった)があり、小学校高学年になると、クラスメートと自転車でよく行くことがあった。
実は現在自分の勤める会社の取引先で、私は担当の営業としてここを回っている。
それまで自分が客だったのに、今は向こうが私にとって「お客様」になった。これには結構感慨深いものがある。

ひらぶき

 八百屋。狛江駅のまん前にあり、いつも活気のある店だった。昭和58年に、近くに「バザール狛江」というミニ市場がオープンしたあおりを受け、一小裏側に移転し、今は存在しない。この後にロッテリアが出店した。この店は当時狛江在住の主婦の方だったら誰でも一度は必ず買いに出かけたことがあるといっても過言ではない。
駅前のひらぶきは無くなりましたが、多摩川住宅中央の商店街のひらぶきは現存しています。但し、経営者は変わったらしいです(2002/03/13に、読者の方より情報提供いただきました。ありがどうございます)。

バザール狛江

 前述の通り、旧狛江一小正門の向かいに昭和58年オープンしたミニ市場。当時の狛江市民が市場に行くとしたら、大体溝口にまで行っていたものだが、これができて大変便利になった。オープン当時、チンドンヤを使い、派手な宣伝活動を行っていた。しかし平成に入って駅前再開発に伴い姿を消す。

西友狛江店

狛江一小の旧校舎の真裏にあった。狛江市民にとって「西友」とはここを指す。現在は駅前再開発に伴い閉店し、立体駐車場になっている。当時の写真は、狛江一小校歌のページの「旧校舎写真」に載っている。写真上部にある白い建物がそれ。

都堂本店

 狛江駅の真ん前にあった和菓子・パンを売っている老舗。現在は存在しないが、当時の市民ならば一度はここの「都焼」(大判焼きが小判型になったようなやつ)を食べたことがあるはず。これに関しては現在も調布駅南口の専門店ビルの1階(ケンタッキーの近く)で販売されているので、懐かしく思った人は行ってみてはいかが?また、パンを作っているということで、小学校3年の時に社会科見学に行った店でもある。

志むら

 「狛江名物」を売っている和菓子のお店。田中橋・世田谷通り沿い狛江銀座にある。特に「鮎の姿焼き」は本物の鮎と見間違うくらいの出来。私が福岡にいた時、職場の人に帰省のお土産として、必ずこれを買ってきた。値段が少し高いのが難点。みんなで買って製造コストを下げてあげて、安くしてもらおう。

みどりや

 かつての狛江一小旧校舎正門前にあった文房具屋。旧校舎時代の卒業生ならここを利用したことのない人はいないはず。ここにはおばさん2人(親子かな?親戚同士だとは思うけど)がいて、うち一人は助産婦の資格を持っている方だった。
 一小生はノートなどの教材はここで買っていた。
店頭にはコスモス(すでに10年以上前に倒産した版権無視の怪しいおもちゃ会社)のガチャガチャがあり、ハズレが出るたびに貴重なおこずかいを使ったことを後悔したものだ。かつてはルービックキューブのニセモノやゲームウォッチなども売っていた。一小移転後の平成3年頃閉店。現在エコルマのテナントの「ミドリ薬局」は、ここと関係があるとのこと。

いずみ堂

 かつて三中の前にあった、パンや文房具を売っていたお店。平成3年頃閉店したかな。
三中のバッジなども売られていたので、当時の三中生は利用したことがあるはず。
私は実家がここの近くだったので、幼稚園の時から利用させていただいていた。
かつては店の後ろ側は一面畑で、店舗の外側に「あけぼのパン」の看板があったので、私はこのお店のことをずっと「あけぼのパン」と呼んでいた。
 幼稚園の時のエピソードが一つ。私と当時の友達の「アシザワ」くん(私より一つ下で、幼稚園を卒園する前に引っ越してしまったので現在身元不明)でここに一緒に行った時に、おもちゃのお金でお菓子を買おうとしたら、お店のちょっと太目のおばちゃんに「これでは買えないわよ」と怒られたことがある。
幼稚園の時だったので、私も彼もお金のことをよくわからなかったわけだが、今思い出すと笑えるエピソードだった。

りろ書房(畠山書林も)→2001/04/18に読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。

 一般には、味わい深いけどホモ雑誌も置いてあるというように紹介され、カルト扱いのような感じです。でも、サヴァイヴァルの難しい和泉多摩川商店街で、生き残ってきた りろ はやはり凄い、と思い、みなさんに知っていただきたくて書いている次第です。
この商店街には、かつて畠山書林という もう少し大きな本屋もあり、子供の頃の私は、こっちの方で車や電車の雑誌ばかり買ってました。
傍目にも畠山の方がずっと流行っていたように見えていたので、なんでこっちの方が撤退してしまったのだろう? と不思議に思いました。
しかしそれは、りろ の良さが分からなかった私が青かったんですね(笑)。
まず、店の入り口からの前半部は、確かにエッチな漫画やら さぶ やら置いてありますが、そうした“ツカミ”に惑わされてはいけません。本質的な部分は、奥の方の棚にあります。文庫本・新書・ハードカバーに関わらず作家別に本を並べているので、一見、全く整理されていない本棚のようで案外探しやすいんですよね。ある意味、紀伊国屋などの大書店よりユーザーフレンドリーです。また、狭いスペースに並んでいる本は、お店の おじいさんの取捨選択を勝ち残ってきただけあって、はずれはなさそうだなという感じがします。
おじいさんと波長が合った方には、りろ の奥は楽しめると思います。
そして、もうひとつ重要だけれども、もしかしたら多くの方がご存知ないのではないかという点。
それは、本の取り寄せが早いんです。注文すると、だいたい翌日には「入りました」という電話が来ます。
その秘密は、りろ のおじいさん(最近は息子さんかも知れませんが)は毎日、ナップザックを背負って都心まで本の買い出しに行ってらっしゃるのです。私、りろ があれば、Amazon.com 要りません(笑)。
ところで、おじいさんの電話の声を聞いていると、たまに おばあさんと間違えることがあります。
→管理人もここをよく利用していました。私はお店で飼っていたにゃんこがとってもかわいかったのが印象的でした。

リーヴル泉(旧名:リーヴル三樹)→2003/08/31にM1が勝手にUP

狛江駅北口、泉龍寺に行く道沿いにある本屋。私は一小卒だが、旧校舎時代は、一小のほとんどの児童が裏門から登校していたのだが、私は正門から登校する少数派だった。正門から登校すると、否応なしにここの前を通ることになる。というわけで、私が狛江に住んでいた大学時代まで、一番良く利用した本屋だろう。「小学一年生」から始まって「ケイブンシャ大百科」から、「プレイボーイ」まで、大人になっていく過程をこの本屋と共に歩んだのかな?というわけで私にとって「本屋」言って真っ先に思い浮かぶのがここ。店内は狭いわりに結構欲しい本がそろっていたのでよかった。

OKストアー狛江店

エピソード1(2001/10/14に、読者の方(四小・三中卒)より情報提供いただきました。ありがとうございます)
首都圏に数多くの店舗を構えるOKストアーの狛江店。慈恵第三病院の真裏にある。狛江市の一番安いスーパーといえばここ。ちょっとまえは他の店より高いものがあったらやすくしますとかいてあった。最近は不況なのかかいてない。スーパーには珍しい三階建て。四階にはトイレあり。お肉は狛江で一番安いらしい。

エピソード2(2002/03/13に前述の四小・三中卒の方のお父様より情報提供いただきました。ありがとうございます)
私がまだ小学生の頃、都営住宅が出来たのを機に開店したスーパーです。開店当時は10円寿司のコーナーがあり、マグロでもタコでもイカでも何でも10円で食べられました。持ち帰り専門でしたが、当時は消費税も無かったため、100円玉一個で、寿司が10カン食べられました。(大きさは小さかったですけど)よく愛食しました。

クイーンズ伊勢丹

エピソード1(2001/10/14に、読者の方(四小・三中卒)より情報提供いただきました。ありがとうございます
狛江の多摩川住宅のスーパーといえばここ。昔は単に「伊勢丹ストア」と呼ばれていた。かつての狛江人にとっては「伊勢丹」と言えば百貨店ではなく「伊勢丹ストア」を思い出す。最近改装してきれいになりました。ここのクルミパンがほかのパン屋やスーパー専属パン屋にくらべてクルミの量が多い。結構人気商品だと思う。

エピソード2(2002/03/13に前述の四小・三中卒の方のお父様より情報提供いただきました。ありがとうございます)
私がまだ小学生の頃、多摩川住宅が出来たのを機に開店したスーパーです。開店当初は、伊勢丹の名に恥じない(?)高めの値段設定でしたが、最近はOKやいなげやに押されてか、徐々に値段設定が安くなってきています。しかしそれでもどうせなら仙川の伊勢丹に行ってしまいたくなるのは私だけでは無いでしょう。

高島屋ストアー(2001/10/14に、管理人がふと思いついてUP)

野川沿いにあったスーパー。狛江市東野川と世田谷区の境のきわどいところに位置していた。2階建てで、売り場面積は広かった。私は家族で野川方面に車で買い物に出かけると、ここといなげやに行くのがお決まりのルートだった。昭和57年頃に閉店したが、建物はそのままで「シヅオカヤ」というスーパーに変わったが、そこも長続きせず、確か今はパソコンショップか何かになっていると思う。

高島屋ストアーがシズオカヤになった時のオープニングイベントには、当時まだあまり有名でなかった「コント赤信号」が出ていました。昔懐かしい、「あにき〜」のギャグで、渡辺さんが、「待たせたナー」と登場してきたのを覚えています。ほかにも、時々飴細工の屋台とかが来たりして、シズオカヤはなかなかのプレイスポットでした。数年前にワットマンという電気屋さんになる前まで、その後も何軒かお店が変ったのではなかったでしょうか。(2005/11/07に、元東野川在住者さんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
現在は大型電気店になっていますが、高島屋の頃はここで友達と当時流行った宝石箱とアイスを買って食べた記憶が鮮明に残っています。

マイデリカ(株式会社ミムロ)→2002/01/16、勝手にUP

かつての西友狛江店のとなりや西野川にあったお惣菜屋さん。ここは実は狛江に本社のある、市内ではかなりの大企業。市内の2店は残念ながら現存しないが、公式サイトを見てのとおり、首都圏に多くの店舗を構える。
管理人が小学校3年の昭和56年頃、狛江一小の裏の西友の隣に店舗ができたのので、ここはかなり印象に残っている。たしか「サッ、できたて、マイデリカ」とかいったキャッチフレーズが割り箸の袋に描かれていたような気がする。さらに、当時の社会科の副教材である「私たちの狛江市」に、ミムロ食品(当時の社名)のことが載っており、その点でも印象的だった。
狛江一小校歌コーナーに、旧校舎写真、一小校舎北側裏の西友狛江店(白い建物。現在駐車場のところ)の2つ右となりにある白い建物がマイデリカ狛江店。


ロアール(2002/01/20に、takuさんとにっこーるさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)

駄倉交差点にあったケーキ屋さん。ここのシュークリームは生とカスタードの2種類のクリームが別れていて、そりゃ絶品だったとか。今は、こだま幼稚園近くに移っていて、先日買いにいったらクリームは2層にはなっていませんでしたが、あいかわらずおいしかったです。なんといってもご主人がニコニコしながら売っているのが一番いいっ!!

オーロール和泉多摩川店(2002/01/21に、管理人が勝手にUP)

オーロール跡地。現在はくすりのセイジョーに(平成20年1月)
かつては和泉多摩川商店街沿いの現くすりのセイジョー和泉多摩川店の場所にあったパン屋。昭和54年頃オープンして、63年頃まであったかな。よく私の母親がここでパンを買ってきた。特に閉店間近になると、パンが安くなって袋に入れられてまとめ売りになるので、このタイミングでよく買ってきたものだ。閉店したのがとても残念だったお店のひとつ。
Sさんからの情報(2013/1/20)
もしかして今は喜多見住宅南側と浄水場の間の道路の団地西端に”オーロール”ってパン屋さんがありますが、そちらに移転したんではないでしょうか?今も近隣住民で大変にぎわってます。ウチもピザとか時々買いますが、すぐに売り切れちゃいます。



ボンシェール(2002/01/21に、管理人が勝手にUP)


狛江駅北口から泉龍寺に向かう道沿いにあったパン屋。狛江一小旧校舎ならびにあったため、かなり馴染み深いが、私の親は大体和泉多摩川で買い物していたので、ここのパンはあまり食べたことはない。
でも、おいしいと評判だった。
ここはパンの耳をただでくれるので、友達とみんなで食べたり、近くにある弁財天池(しみず)で鯉にやるえさにしたりした。
小六の図工で、写生の時間にはこっそり学校を抜け出して、パンをもらってきてみんなで食べたという「悪事」もやった。

和泉多摩川駅近くにあった果物屋(店名忘れた)

かつての和泉多摩川駅の入り口へ登ってくる坂沿いの交番の向かいにあった果物屋。
夜10時くらいまでやっていた。ここは果物のほかにお菓子があったので、子供がよく来ていた。
私は中学時代成城にある塾に和泉多摩川から通っていたため、帰りは三中の3人の友達と一緒にそこでお菓子を買い食いするのが習慣となっていた。
そのためお店のおばちゃんから顔を覚えられ、結構思い入れのあるお店だったが、小田急線再開発に伴い平成2年頃に姿を消した。店名知っている方がいたら教えてください。


→読者の方の情報提供により、「つがるや」と判明。ありがとうございました。(2004/09/05)
駅前のは、支店、本店は和泉多摩川商店街にあったのです。支店はお菓子かなんかも売っていて、今のコンビ二の走りみたいね、夜遅くまでやっていたし・・・本店は果物のみ、冬になると店の前で栗を蒸していていい匂いを出していました。
 

味の花→2003/09/01に、管理人がUP

和泉多摩川商店街のパチンコ屋「タカラホール」の向かいに昭和60年頃にオープンしたお弁当屋。オープンした頃はおそらくはパチンコ客の利用が多く、長い行列を作っていたことも。私はここの弁当を食べたことはあるが、あまりおいしくなかったような気がした。結構長続きし、多分平成7年くらいまでは営業していたと思う。

ホワイトタイガー(他)→2003/09/01に、管理人がUP

和泉多摩川再開発前、踏み切りのすぐ脇に小さな店舗があったが、そこは薬屋になったり歯医者になったり入れ替わりが激しいお店で、その中で一番印象に残ったのが「ホワイトタイガー」とい食料品店。昭和58年くらいにオープンしたかな。オープニング時派手なセールをし、踏み切り待ちの人も含め、人だかりが出来、かなり繁盛していたが、何せ店舗面積が狭いためか、長続きせず、多分2年くらいで閉店。あそこの場所はいいようでよくなかったのかな。

三島堂(2005/10/25に、元東野川在住者さんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)

五小の隣にあった文具屋さん。たびたび利用してました。ふ菓子とかも売ってた。数年前に帰省したときにはまだあって、子供にシャボン玉を買いました。

ファースト(2006/09/15、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。)

猪駒通りにあったお店。本来月曜発売の「週刊少年ジャンプ」が土曜に出ていた。初期の頃は店内も品揃えが豊富でタイ焼きも売っていて、ジャンプを買いに行ったついでに寒い中タイ焼きを頬張りながら外に2台程有ったク ソゲーで盛り上がったもんです。たまに店のハゲ親父が外の監視に来て長居してると睨ま れた思い出が有ります。

府川商店(2007/03/18、Yさんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)

狛江2中の隣にある商店。文房具、菓子パン等学生には必要な物を取り揃えておりました。またこの店でもガチャガチャとコスモスの自動販売機があったのでよく通っていました。

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飲食店

東秀狛江店

写真(平成20年1月撮影)

狛江駅前にある中華料理チェーン。すごくへんぴな場所にあるが、学生やサラリーマンの支持が高く、現在もバリバリ現役。昭和55年頃に開店。東秀チェーンの中でもかなり古い店。開店当時は「ラーメンギョーザ」という看板が掲げられていたので、「東秀」ではなく「ラーメンギョーザ」と呼んでいた。当時の店内はカウンターのみのいわゆる“ラーメン屋”だったが、3回ほど改装をし、現在はかなり明るい店内に様変わりした。さらに昭和63年頃には狛江市役所前店もオープン。
場所はここ
→平成20年6月30日、ついに閉店。28年の歴史に幕を下ろす。


ロッテリア狛江店

 この店は狛江の発展を象徴する店だった。昭和59年、狛江駅前の八百屋「ひらぶき」のあった建物にオープン。当時、ハンバーガーショップは小中学生のあこがれで、大手ハンバーガーチェーンは成城にロッテリアと森永ラブ(現在はバーガーキング)があるくらいで、電車に乗って出かけないと食べられなかった。そこに大手のロッテリアが狛江についにオープンしたということで、市内では大騒ぎだった。当時私は一小の6年生で、授業中、教室からオープニング風景を眺めていたが、ものすごい数の人が並んでいたのを覚えている。そのロッテリアも駅前再開発に伴い閉店。そのあとに業界トップのマクドナルドができたが、「狛江もここまでになったのか」と感動したものだ。



ハピーモア狛江店

かつてのハピーモアの場所。現在は「mama pasta」
中村屋系のファミリーレストランチェーン。昭和56年頃にオープン。私の記憶では狛江初のファミレスだったと思う。場所は狛江駅前ロータリーをまっすぐ行って、パチンコの日の丸のとなりだった。平成8年頃閉店。現在はイタリア料理の店「フィオーレ」に変わり、その後、「mama pasta」に変わった。
場所はここ






デニーズ狛江店

平成20年1月撮影

 狛江初のメジャーファミレス(→狛江初のファミレスは、世田谷通り沿いにある「ロイヤルホスト」だったという意見を、読者の方からいただきました。情報提供ありがとうございます→どうやらアイホップ狛江店の方が先らしい。次の説明参照)だったと思う。狛江三中近くの世田谷通り沿いに、昭和57年ごろオープン。現在も存在し、立地がいいため売上も結構いいらしい。何を隠そう私は大学時代ここで3年間バイト(調理)をしていたのだ。部活が忙しかったため、あまりのめりこめなかったが、社会人になって一人暮らしを始めて、ここで培った調理のノウハウが大変役に立った。
場所はここ

平成21年10月についに閉店。
ここではバイトしていただけに寂しいですね(byM1)




アイホップ狛江店(2002/08/19に、ばんのすけさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)

アメリカではメジャーなファミレスIHOP(Internartional House Of Pancake)の、なんと日本進出1号店はここだった!その後武蔵野多摩地区に数十店舗展開。元々パンケーキレストランとしてスタートし、後にガストなどに対抗するためハンバーグやステーキ系を充実させ、安価メニューを提供。アメリカでは5000店舗くらいあるらしく、私(M1)も卒業旅行でアイホップを発見。あっちは本場だからパンケーキを売りにしていると思いきや、日本と同じくステーキなどの肉料理も売りにしていた。
結局日本ではうまくいかなかったらしく、撤退。狛江店は昨年末頃に閉店。

アイホップ狛江店て、(スーパーいなげやの前にあった店だったと思う)火事になった事があるはず!正確には店の裏が火災になり、店内に煙が入り込んだだけだったはずだが、そのとき店内にいた客は避難させられたらしい。もちろん代金は未収のままで。当時たまたま母が友人と店内にいて、帰宅後その話を聞きました。母は後日代金を支払いにいったようです。私も20年位前には、調布にバスで遊びに行った帰りなど、あそこでパンケーキにバターとブルーベリージャムをべったりかけて食べた思い出があります。(2005/11/07に、元東野川在住者さんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)

熊大路(ラーメン)

 世田谷通り沿いの「狛江銀座」の近くにあるカウンターだけのラーメン屋。
ここの醤油ラーメンは私は狛江で一番うまいと思っている(私がこれまで食べたラーメンの中では2番目にうまい。
1番目は福岡にある「一蘭」。福岡に行くことがあったら絶対行くべし!)
大学4年の時にラーメン屋巡りをして発見。
デニーズのバイトの後によく行った。今も狛江に帰って来る時は必ずここで一度は醤油ラーメンを食べる。
夜しかやっていないお店。

2012年末に閉店したとのことです。本当に残念。

栄華(ラーメン) 

 国本学園裏にある。圧倒的なボリュームで喜多見近辺では名が轟いているとのこと。味は平均的なレベル。
(2001/01/12に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

大ます

 かつて和泉多摩川駅の北側の線路沿いにあったそば屋。昭和60年頃にオープンしたが、3〜4年で姿を消す。本格的な手打ちそばが自慢で、とてもうまく、よく家族で食べに出かけたり、出前を取ったりした。しかしどう考えても場所が良くなかったのが影響したのだろう。閉店した時はとても残念だった。この店を知っている人がいたらすごい!

あさひ屋(2000/09/30に狛江タイムズ常連の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

 かつて和泉多摩川商店街の踏み切りのすぐ近くにあった大衆割烹店。昭和の初め、小田急開業前に既にあったお店だとか。暖簾張りで、たしか大きなちょうちんがあったかな。管理人はここがあった頃はまだ小さかったので、一度も行ったことはない(と思う)が、水槽が外からも見えたのをよく覚えている。その中にイシダイやウツボが泳いでおり、横を通るたびによく眺めていたものだ。小田急線高架かにともない今は存在しないが、そこ「あさひ屋ビル」として存在する。テナントにラーメン屋が入っている。

白い花(2001/04/28に管理人が勝手にUP)

 昭和56年頃まで、泉竜寺近くのフクダデンキ向かいにあった喫茶店。オープンしていた期間は多分3〜4年間くらいかな。なぜここを取り上げたかといえば、ここにはかつて国内で大ブームを巻き起こしたTVゲーム「スペースインベーダー」があったから。当時のTVゲームは現在とは異なり、テーブル型をしていたため、ゲームセンターの他に喫茶店に置かれていることが多かったが、狛江市内にはまだゲームセンターがなかったこともあり、ここにインベーダーがあったということで、かなり繁盛していたようだ。ちなみに私はまだ小学校2年生くらいだったため、入ったことはなく、学校の帰り道、外から店内を眺めるくらいしかできなかった。その後インベーダーブームの終焉とともに、この喫茶店も閉店し、アパートに落ちついた。

寿司文

まず知っている人はいないと思われる店。おそらく昭和63年くらいにできて、平成2年あたりに閉店した店。和泉多摩川の焼肉屋の斜め向かいあたりにあったビルの地下にあったお店。閉店後はそこはお好み焼き屋になったが、今も続いているかは不明。かつて私は寿司といば回転寿司ばかり食べていたので、ここで握りを食べた味が忘れられない。とにかく大トロがうまかった。また行きたいとおもったらもうなくなっていたのが残念だった。(by M1 2002/10/29)

たまりや(2003/04/30に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。)

多摩川の鉄橋下付近にある貸しボート&インスタントラーメン屋?管理人M1も釣りに行った時などにお世話になりました。あそこで食べるカップ麺はなぜかうまかったような気がする。カップヌードル¥200−あのぬるいお湯で、作るのがたまらない。

川仙(2005/05/23に、読者の方より情報提供ありました。ありがとうございます)

駒井町の多摩川土手沿いにあった、川魚料理屋さん。もちろん、こどもの頃なのでお金払って料理を食べていた訳ではないですが、 日釣り券やたまりやと同じくカップめんを150円(お湯&箸付き)で買うことができました。

ノタリーノ(2006/01/04に、cheeさんより情報提供ありました。ありがとうございます)

現在のノタリーノ(平成20年1月撮影) 昭和57年頃
現在はエコルマのテナントにある、狛江市民ならおなじみの老舗喫茶店。かつては狛江一小旧校舎の前にあった。一戸建ての店舗で一小や三中の先生がよく利用されていました。その場所にバザール狛江(当コーナーに載っています)ができた際、その2階に店舗が移る。ハンバーグのメニューがおいしかった。

レアな中華屋(紅華・中村屋)

S58年〜位に狛江二中近く有った中華屋を2件。
まずは当時二中の校庭沿いに有る細い砂利道を通り、さらに昔はよく見掛けた人が通れる程度(大体、草むらの中に側溝の蓋が続いている道でバタバタ音をさせながら歩いた)の脇道を六小方面に抜けた住宅街の中に「紅華」(こうか)って中華屋が有って中坊時代に世話になったもんです。
店内もカウンター、テーブルと有り、普通の広さで、昔は中華屋お決まりの赤い椅子に机で、レバー式のおみくじが置いて有りましたね!中でも当時\550だった「焼肉丼」が絶品で毎回食ってました。キャベツの千切りがたっぷりで、甘辛タレで焼いた肉が飯にドカッって、のっかった丼でした!餃子も結構美味くて、ラーメンは普通の醤油でしたが\450と安かった記憶が有ります。無愛想で無口な親父(たまに喋る)とチャキチャキ系のオバちゃんで経営してたらしいですが、昼間制服で食っても平気な店でした(笑)
出前もやっていて先生も職員室で頼んでたし、全盛期は夫婦の他にバイト見たいなオバサンも居て、かなり忙しかったようで、友達も「よく食べに行くし、出前も取ってる」って奴が結構居ましたね。近くに中華屋が無い時代でしたので人気が有ったようでしたよ。何年か経って親父さんが亡くなってから、おばさんが一人でやってた見たいですが、無くなった見たいですね…学校帰りに前を通るとイイ匂いがしたのが懐かしいです。
もう一件は「みずほ幼稚園」近くで「マナベフラワー」(ここの息子、友達でした)の所の水道道路の交差点で小さな三角地帯に有った「中村屋」って店の「パイコー飯」が最高に美味かった!!
豚角煮肉が飯にタップリのってて食い切れない程でした。ここはカウンターしか無かった(隅に一つだけ二人掛のテーブルが有ったかな?)と記憶しますが中々繁盛してたと思います。紅華の焼肉丼より少し高く、\650位でしたね。ここはいつのまにか違う中華屋になってました。あと余談ですが、みずほ幼稚園前の広場でドッチボールを使って蹴る野球「フットベース」って呼んでたやつをよくやってて、夏なんか広場隣に有った小さな酒屋(名前不明)で、なぜか真ん中がパキッっと折れる\20の駄菓子屋ジュースを凍らせてたのが売ってたので、いつも買ってましたね。
懐かしいなぁ…
(2010/02/09に、くーたろうさんより情報提供いただきました。ありがとうございます。)
自宅が「らーめん中村」のまん前でしたので良く覚えています。
オープンから半年はラーメンは何と250円でした。
で、一番高いメニューのパイコー飯とパイコー麺が共に500円。
いい時代でしたね。
ここの主人の中村さんは三重から上京して狛江にお店を出しました。
お金が溜まったら北海道で店を出したいと良く仰っていましたが、現在はどうなんでしょう・・・
 
紅華さんは餃子用のひき肉を当時バイトしていた「バザール狛江」の肉屋(肉の宝屋)で買っていただいていたので、ラーメンをチャーシュー麺にサービスしてもらったり。懐かしいなぁ。
 
先述の「らーめん中村」ですが、次に出来た店は「みやちゃん」
そして「田園」。んで超短期で名前を忘れましたが1件ありましたね。
実家のまん前が京王ストアですが、私が高校生の頃までは「梨畑」でした。

アミューズメント・旅館編

タカラホール(パチンコ)

現在の写真(平成20年1月撮影)
 狛江市内初のパチンコ屋。昭和57年あたりに和泉多摩川商店街にオープン。それまでは当時の狛江在住のサラリーマンは登戸などへ行かないとパチンコがやれなかった。経営者は何度か交代したらしいが、今も現役。
 ここができる前は、「ラパン」というスーパーだった。よせばいいのに和泉多摩川の老舗「江戸屋」の隣に出店して、1年やそこらで閉店したという気の毒な店だった。

ゲームプラザタカラ(と言う名前だったと思う)

 かつて「タカラホール」の2階にあったゲームセンター。当時はゲームは全てテーブル型筐体のため、部屋が明るいと画面が見えにくくなるということから、店内は真っ暗だった。たしかに不良の溜まり場になっていたと思う。私も中学時代よく行ったものだ。当時はまったゲームは「グラディウス」「魔界村」「エキサイティングアワー」など。ちなみに昭和63年に閉店し、現在はビデオレンタル「ドリーム」と姿を変えた。

日の丸(パチンコ)

 
パーキングタワーが狛江のシンボル?(平成20年1月撮影)

狛江で2番目にできたパチンコ屋。昭和58年頃、狛江駅前ロータリーの先のハピーモア(現在はフィオーレ)の隣にオープン。店の横にタワーパーキングがあるのが特徴。

日の丸(ゲーセン)

 日の丸パチンコの2階にあるゲームセンター。現在も存在するが、店内はオープン当時とほとんど変わっていない。かなり広く、三中の先生がよく巡回していたので、行く時はドキドキ物だった。
→ここにはかつて入り口から入って右横(トイレの近く)に10円コピーがズラリと並んでいました。多分狛江で初めての10円コピーではないかと。(2001/04/19に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます。)
→平成14年冬、ゲームセンターはなくなりました(2002/01/14)

伊豆こまえ荘

 多分20代前半以前の人だったら、たとえ狛江人でもこれを知っている人はいないだろう。これは狛江市が設けていた市民のための保養施設。名前の通り、伊豆にあった。
 私は子供(多分幼稚園)のころ家族で行ったことがあるが、あまりいいところではなかったような気がする。昭和56年ごろになくなったと思う。これについての詳しい情報・エピソードを知っている方、特にここの写真を持っている方、メール下さい。

現在は伊豆高原あだち荘(足立区民の保養施設)として残っていると思います。あだち荘となって自分は実際行っていないのですが、パンフレットの写真や館内図をみると、私の記憶では、まちがいないと思います。ホームページはこちら(2003/10/10にマインさんより情報提供いただきました。ありがとうございます)

登戸銀映(2001/01/16に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

登戸に1980年代なかばほどまで、登戸銀映という映画館がありました。学校が休みのシーズンは子供向けの映画を上映(ゴジラなどを見た記憶があります)していましたが、それ以外は日活ロマンポルノばかりやってました。
→狛江ではないですが、登戸も十分狛江人の勢力圏内でしたよね(by管理人)

そうま(ゲームセンター)

正確には狛江ではなく喜多見にあったゲームセンター。世田谷通り沿いにあり、ゲームセンターなのだが倉庫をゲームセンターにしただけの殺風景な店内だった。小学校6年次(昭和59年頃)にここに行くのがクラスで流行り、みんなで行っていた。店構えも怪しいがそれに輪をかけてゲームも怪しいものが多かった。まず当時でも一昔前のゲームが多かったこと、そしてニセモノ系のゲームもあった(「マリオブラザーズ」が「マサオジャンプ」のネーミングになっていた)。古いゲームは確か10円〜30円くらいでやれたのも、よく行った理由のひとつ。昭和60年くらいにはもう姿を消していたと思う。(by M1 2002/10/29)
Yさんの情報提供!(2007/03/18)
ここはやくざが経営していたと記憶しています。しかし、ゲームは安いし当時の子供達には人気があった場所でした。ちなみにここの社長にタバコのお使いを頼まれお小遣いをもらった事があります。

その他のお店編

ひばりや(2001/08/28に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

西和泉の北側の狛江ショッピングセンターにあるペット屋。(今も存在するかは不明。)四小学区域で、ペットや昆虫といえばそこでした。 店のお兄さんが三中の先生(社会科の池田先生:いけせん)にそっくりで、兄弟ではないか...というウワサがありました。
→2001/10/14に、読者の方(四小・三中卒)からの情報提供で、現存することが判明。ありがとうございました。
先月ひばりやに買い物しにいったときに昔からいる店員さん(いけせんににているというかた)にここのサイトに池田先生ににてるってかいてあったんですけど兄弟なんですか?ときくと「あぁそんな噂もあったねぇ」とひとこと。どうやら兄弟ではないらしい。しかも当時は結構いわれたようである(はなしぶりから)
→2002/04/29に、読者方より情報提供いただきました。ありがとうございます。


だぐら(2001/08/28に、読者の方から情報提供いただきました。ありがとうございます)

レコード屋。熊のマークで、こじんまりとしたお店でした。ひと月分のお小遣いを持って、何を買おうか悩みまくってた記憶があります。
→現在も狛江駅近くにあるある駄倉書店の横にあったようです(by管理人)

ペットベル(2001/10/14に、読者の方(四小・三中卒)より情報提供いただきました。ありがとうございます)

昔はたいあんという名前だった。現存。最近内装をかえたらしい。犬とか猫がお迎えしてくれる。和泉多摩川店だったかもしれない。昔はプリクラもおいてあった。

学問道場北辰塾(学習塾)

右の建物にかつて北辰があった(平成20年1月撮影)
ここは「お店」とは言い難いが学習塾も結局は商業目的ということで。かつて狛江市内で隆盛を誇った進学塾。昭和62年あたりまでは「愛汗」と書かれた鉢巻をして授業を行っていたが、時代にそぐわなくなったかどうかわからんがその後鉢巻はなくなる。昭和60年3月までは世田谷通り沿いのファミリーマート狛江店の向かいにあった。「学問道場」ということで、かなり「道場」的な色彩もあった。教室名は「北辰」「払暁」「黎明」「無限」などがあり、各教室には「若人の歌」「無限の歌」の歌詞が貼られていた。塾歌もあった。昭和63年3月に松原交差点付近に校舎を移転。独立校舎になるがわずか2年足らずで改築したのを見た時はびっくりした。補習校や大学受験課なども作られたが、後に縮小され、あの新校舎はなくなる(現在宅配ピザ屋として建物は残っていると思う)。現在は狛江通り沿いのマンションに看板があるので、そこの校舎のみになっていると思われる。結構詳しく述べたが、実は私は小学校時代ここに通っていた。姉は中学部で通っていた。ここに通ったことのある人ならいろいろ語りたいことがある、と思う。一番の思い出はなんといっても夏に行われる合宿。伊勢にある青少年研修センターで行われるが、やるのは勉強ではなく精神修養の研修会。小4から中3までが一緒になり「村」という名のグループを作り、オリエンテーリングや陣取りゲーム、飯ごうすいさん、キャンドルサービス、キャンプファイヤーなどをやった。とてもきつかったが、今ではいい思い出かな(by M1 2002/10/29)

前田オート(自動車)
(2006/09/13に、みちよさんから情報提供いただきました。ありがとうございます)

喜多見団地のすぐ近くに、前田オートと言う年代物のクラッシッ クカーを扱っている ところがあります。 多摩川沿いに自動車を保管しているのですが、圧巻です。 時代物のドラマや、映画では、ほとんど必ずと言って良いほど、出てきます。

UWFインターナショナルの事務所
(2007/06/04に、元三中生さんから情報提供いただきました。ありがとうございます)

喜UWFから独立した高田信彦らの事務所が1990年前後に猪駒通り沿いにありました。

石森章太郎の事務所
(2007/06/04に、元三中生さんから情報提供いただきました。ありがとうございます)

昭和47.8年頃に仮面ライダーで有名な別事務所が自分の自宅の4小そばにありました