俺の東京

2007/10/9更新

 ここでは東京都初のJリーグクラブである、FC東京について紹介します。あくまで東京を全く知らない方向けに説明しますので、元々東京サポーターだった人達にとっては「アタリマエ」のことばかりが書かれていますが、狛江の人々にFC東京の魅力を知ってもらうという趣旨なので、ご理解いただければと思います。

*気合の入れようによって「です・ます」体と「である」体が混入しますので、その辺は大目に見て下さい。
*独断で書いた点もあるので、間違っていることや書いたらまずかったことを見つけたら指摘してください。すぐに訂正します。
FC東京についての基礎知識 とりあえずこれだけでも知っておこう。
FC東京の特徴 他のJチームにはない特徴を教えます。
私がFC東京ファンになった訳 私もつい1年前まではサッカーやJリーグにはほとんど関心がなかった。そんな私がFC東京に夢中になった「きっかけ」を知って欲しい!


FC東京についての基礎知識

チームの歴史

 前身は東京ガスフットボールクラブ。1935年に創部されたが、世間の表舞台に立つのはそれから約60年後。
1992年、JFL2部に昇格。1994年、初出場の天皇杯1回戦でJリーグの強豪、鹿島アントラーズを撃破しベスト8進出。
1997年の天皇杯では名古屋・横浜マリノス・平塚(中田がいた時)を次々と撃破し、JFLチームの準決勝進出という快挙を成し遂げるなど、「ジャイアントキラー」の異名を持つが、Jリーグチームになるには条件が整わず、1998年まではJFLに在籍。
この年のJFLで初優勝を決め、翌1999年、Jリーグが2部制になったのに伴い、チーム名を「FC東京」とし、東京都をホームタウンとする、都民のためのJリーグチームに生まれ変わる。
自治体では府中・調布・三鷹市(FMC)が出資。スポンサーは前身の東京ガスの他に新日本石油・東京電力、エーエム・ピーエムジャパン、テレビ東京など多数。
 1999年のJ2リーグに参加し、ライバルである川崎フロンターレと優勝・昇格争いを繰り広げる。その間、初出場のヤマザキビスコカップで準決勝に進出するなど、「ジャイアントキラー」ぶりを発揮。
 同年11月、昇格目前にして大分トリニータに追いつかれ、最終戦を残してJ1昇格圏外の3位に転落。
自力優勝の夢を断ち切られるも、最終戦の対アルビレックス新潟戦に勝利し、2位大分が引き分けたため、逆転昇格を果たし、優勝した川崎フロンターレとともにJ1へ。
 2000年度の1stステージ開幕戦では、同じ昇格組の川崎フロンターレと異なり、J2時代からのメンバーを主体としたチーム構成で優勝候補の一角である横浜Fマリノスに戦いを挑み、これを1−0で撃破。
3回戦では前年の天皇杯王者の名古屋グランパスに延長の末に2−1で逆転勝利。さらに5回戦で前年のJリーグチャンピオンであるジュビロ磐田に3−2で逆転勝利し、その段階で首位に立つこと3回。「東京旋風」を巻き起こす。最終的には6位で1stステージを終えた。→2ndステージは8位。年間順位は7位。
その後、いわゆるJ2からの昇格組のチームが苦戦し、再度J2に落ちるケースの多い中、毎年中位くらいの実績は確保し、昇格以来一度もJ2に落ちることなく現在(2007年)に至る。
 2001年、調布飛行場跡地に「東京スタジアム」がオープン。ここがホームスタジアムとなり、付近の調布・府中・三鷹エリアを中心に数多くのファンを獲得。Jリーグの中でも観客動員数が3位となる。
 2002年シーズンより、東京ガス時代を含め8年間東京を指揮した大熊清監督が退任。後任には元日本代表FWで、元浦和監督の原博実氏を迎える。これまでの守ってカウンターの戦術から、「攻撃サッカー」を標榜し、開幕戦では前年王者で代表選手を多く抱える鹿島を4−2で撃破、サポーターからも厚く支持され、その後05年シーズンまで指揮を執る。
 2003年シーズンは、キング・オブ・東京ことアマラオのラストシーズンになったが、1stステージ4位、2ndステージ5位と好成績をマーク。特に2ndステージでは最終節まで3試合を残して2位と、優勝争いに最後まで食い込んだ。プレシーズンマッチでは、ベッカム・ジダン・フィーゴ・ロナウド・ロベルトカルロスなどスター選手を多く抱えるスペインリーグの強豪レアルマドリードと国立競技場にて親善試合を行った(0−3東京の負け)が、これが後にJリーグチームと海外強豪チームとの親善試合が数多く組まれるきっかけともなった。
 そして2004年シーズンは、リーグ戦では中位だったものの、ヤマザキナビスコカップで浦和レッズを破り、初タイトルを手にする。
原監督は2005年シーズンで退任。「第一次原政権」は終わった。2006年にはブラジルよりガーロ新監督を迎え、「ポゼッションサッカー」を標榜するものの、結果が出ないだけでなく、これまで東京の持ち味だった縦への突破が見られず、パスをつなぐといった内容にサポーターからも不満が多く、やめろコールをするゴール裏の姿ももたびたび見られた。結局シーズン途中でガーロ監督は解任され、ユース監督で、前ヘッドコーチの倉又寿雄氏がトップチームの監督に就任。G大阪や川崎といった優勝争いをしているチームに大逆転勝利をするなど、これまでの東京の持ち味が戻ってくるような内容の試合もあった。最終的に降格することもなくシーズンは終わった。
 2007年シーズンより原博実氏が再び東京の監督に就任。「第二次原政権」がスタートした。

チームカラー

 青と赤が基調。東京ガスのロゴも青赤なのでこれから来ているように思われます。そのため、「青赤軍団」とも呼ばれます。ちなみにこのホームページもそれをイメージして作成しました。

ホームスタジアム

 調布市飛田給にある「味の素スタジアム」。2001シーズンより2002シーズンまでの呼称は「東京スタジアム」でしたが、2003年よりスタジアム名にスポンサー名を付ける「ネーミングライツ」を国内で初導入。味の素株式会社がスポンサーとなり現在の名前に変更。なお、東京ヴェルディもここをホームスタジアムとします。京王線飛田給駅より徒歩5分。スタジアム完成前の2000年は年は国立霞ヶ丘競技場・駒沢陸上競技場などを併用、J2に在籍していた1999年までは国立西が丘サッカー場や江戸川陸上競技場を使用していました。

本社・練習場

 会社の正式名称は「東京フットボールクラブ株式会社」。本社・練習場とも東京都江東区猿江にあります。詳しくはオフィシャルホームページをご覧ください。

スポンサー

 東京ガス・東京電力・am/pmジャパン・TV東京・三菱商事・新日本石油などかなりの数に及びます。 

試合中継・特集番組など

 試合中継はNHK衛星放送・テレビ東京の他に「MXテレビ」(14チャンネル)で放映されます。MXテレビでは、大体全試合放映されます。
 

オフィシャルショップ

 オフィシャルショップは渋谷にある「ワールドスポーツプラザEAST」店内
渋谷区渋谷1-16-9(渋谷明治通り)
tel 03(5468)3177
(OPEN 10:00〜20:00)

 グッズなどが売っているお店
ときわ スポーツ 調布店
調布市小島町 2-51-9
0424-85-3363

FC東京の特徴

チーム名に愛称がない!マスコットがいない!

 Jリーグチームといえばホームタウン名の前か後に「ジュビロ」や「マリノス」といった愛称が付けられるのが普通だが、FC東京にはそういう愛称がない。
FCは「フットボールクラブ」の略称で、愛称ではない。
なぜこういうチーム名になったのかといえば、あくまでホームタウン「東京」を強調し、応援する時も「東京」と呼んで欲しいからである。
そういう意味では「東京」が愛称なのかもしれない。
「読売新聞」はJリーグチームを地域名で呼ぶのを嫌っており、順位表を除いては全て愛称で記事を書いているが、FC東京だけは「東京」と書かざるを得ないという面白い現象が起こっている。私も初観戦した時、サポーターが「東京!東京!」と連呼するのを聞いて、少し違和感を感じたものだが、現在はこんな素晴らしいチームが自分の出身地である東京を代表とするチームであることに誇りを感じている。そういう意味では、FC東京はJリーグで最も地域密着型のチームであるといえる。
 また、他のJ1チームには必ずあるマスコットが存在しない。だからホームゲームでも人形が出てこない。これは前述のように、あくまで「東京」にこだわりたいというフロント側の意志がうかがえる。
→読売新聞の記述は、2001年2月あたりから「地域名主体型」に変更になりました。

東京都全域がホームタウン

 FC東京は東京都全域がホームタウンです。スタジアムは調布市ということになりますが、J1のジェフ市原やJ2のサガン鳥栖や湘南ベルマーレなどの現状を見る限りでは、こういうふうに全域をホームタウンにしたという形にしたのは最善の策だったのではないでしょうか。これで狛江もホームタウンということになるのですから。 

東京ローカル

 FC東京は、東京という首都をホームタウンとしながらも、当面はプロ野球の巨人のように「全国区」のチームは目指していないように思われる。
まず東京都民に愛されるというスタンスで、東京でありながら、ローカルであるという「東京ローカル」を貫いている。これは東京では初めての試みだが、他のホームページを見たり、試合観戦時の雰囲気を察する限りでは、サポーターの大半が東京都民であるということがわかるので、これは結構うまくいっているのではないか。

全員守備・全員攻撃

 これはFC東京のプレイの方針である。これまでの試合を振り返ると全員で守ってカウンターで勝利というパターンが多い。だからFWの選手も積極的にディフェンスに参加する。
 FC東京は他のJリーグチームよりも運動量がすごく、全員でフィールドを駆け回る。
これを「部活サッカー」と皮肉られることもあるが、それにあくまでこだわる姿勢が、時には感動を呼ぶことがある。

いい意味で「無名軍団」!

 FC東京には今のところ「現役日本代表」の選手はいない。
現在大ブレイク中のツゥットにしても、昨年所属していた川崎フロンターレのチーム構想からはずれて、戦力外通告になって東京にやって来た選手で、「スター」とは言い難い選手だった。アマラオも来日から8年間東京に居続けた生え抜きの選手で、J1に上がったからといって、どこかのプロ野球チームのように「大型補強」は行っていない。
さらに言えば、東京の30人強の選手のうち10人がプロではない「社員(東京ガス)選手」なのである。
現在、J1・J2を含めてこんなチームは他にはない。ちなみに大熊監督も東京ガス社員。
まあ、これはわずか2年前まで東京ガスという一企業のサッカークラブだったということも大きな理由だが、これら社員選手は、小林・小池・浅利などのように、現在もレギュラーとしてバリバリ活躍している。同じ会社員の私としては、これにはかなり親近感を覚える。
 正直言って私も東京の試合を初観戦した時、知っている選手は誰もいなかった。そういう「無名軍団」が「スター軍団」を撃破する時には「感動」がある。これが私が東京を愛する理由の一つであり、他の人もそう思っている人は多いはず。
→これは2000年シーズンの記述です。2001年シーズンは、ツゥット(「トゥット」に改められましたが)は浦和に移籍。そして社員選手は現在浅利・遠藤の2名です。

男だらけのゴール裏

 FC東京のサポーターは男性が圧倒的多数を占める。特にゴール裏の応援団を見る限り、95%は男性ではないかと思われるくらい男くさい。これはいわゆる「スター選手」の追っかけではなく、純粋にサッカーとFC東京というチームが好きなサポーターが多いことが原因ではないか。高校時代は女子中高生のアイドル的存在だったミッドフィルダーの佐藤由紀彦選手も、東京に移籍してからというもの、「俺達のユキヒコ」と呼ばれるようになった。こういう事情からか、応援も男っぽいものが多い。こういうところが私が好きな点だったりする。

キーワードは「俺の東京」

 FC東京の応援のキーワードは「俺の東京」。応援歌でもこのフレーズがよく出てくる。これは「俺達の」ではなく「俺の」ということで、人任せではなく、自分もチームメイトの一員として戦っているということを表したいという気持ちからだという。


私がFC東京ファンになった訳

東京を離れて初めて東京への郷土意識が生まれた

 私は大学卒業後、就職して初めて東京を離れたのだが、東京に住んでいた時は、狛江市民意識はあったものの、東京都民意識ははっきり言って希薄どころか持っていなかったかもしれない。

一般には東京は「全国区」というイメージを、地方出身者のみならず、東京都民でも持っている場合が多い。

 就職して最初の赴任先が福岡。赴任前はかなり楽しみにしていたのだが、いざ行ってみると、長いこと東京への「ホームシック」に悩まされた。東京を離れてみて初めて「自分は東京人なんだ」と意識するようになった。
これは他の地方出身者が上京する際にも見られる現象と何ら変わりはない。

福岡での悔しかった思い出

 福岡に赴任して2年くらいたって、本社からやって来た会社のある人(地方出身)と飲み行った時に、私はその方に真面目に、

「僕にとっての故郷はいつも東京です。東京の人間であることに誇りを持っています」

と言ったら、

「東京出身でそんな意識あるの?」

と半ば笑いながら言われたことがあった。
この時とても悔しかったが、これが東京に対する地方出身者の一般認識かもしれない。
かく言う私も一生東京を離れなかったら、そういう認識のままだったのかもしれない。
 福岡で「悔しい」と思ったエピソードがもう一つ。福岡での職場は九州の拠点だったということもあり、東京にある本社の人がよくやって来たのだが、買ってくるお土産は必ずと言っていいほど「東京ばな奈」(羽田空港に売っている、黄色いスポンジケーキの中にクリームが入っているやつ)だった。
お土産を持ってきてくれるのはありがたいが、東京出身の私にとってこれは屈辱だった。
東京人のうち、一体どれだけがあれを「東京名物」だと思っているのだろう?
あれは地方人にとっては「東京名物」と浸透しつつあるが、東京人は名前すら聞いたことのない人が多いのではないか。
私も福岡に来て初めて「東京ばな奈」の存在を知った。
それに反発する意味で、私はお盆などで狛江に帰省すると、狛江名物のお店「志むら」で、「鮎の姿焼き」を買って、会社や取引先の方にプレゼントしていた。
*(独断と偏見による感情論になってすみません)

きっかけは川崎フロンターレの存在

 私は職場が横浜にあり、1999年、たまに実家から出勤することがあったのだが、横浜に行くときは南武線で武蔵小杉まで行き、東横線に乗り換えるのだが、その武蔵小杉駅の南武線から東横線への通り道に川崎フロンターレ専用の手作り掲示板があったのである。
その掲示板では当時J2だった川崎フロンターレの試合結果が手書きで書かれていたり、サポーターの作った新聞が吊るされてあったりと、かなり親しみが持てた。
いつもここを通るので、この掲示板が気になって仕方なかった。
 さらに仕事でも川崎市中原区近辺は担当地区だったため、商店街をよく歩くことがあったのだが、ここでもフラッグが掲げられたりと大変盛り上がっているのにも驚いた。
話によると商店街のイベントには選手もノーギャラで積極的に参加しているという。
 何を隠そう私はそれまでJリーグには全くと言っていいほど興味がなく、自分の周りにもJリーグに興味のある人も皆無で、J2なんてマイナーの中のマイナーな存在だと考えていた。

そんなJ2のチームになぜここまで熱を入れられるのかが不思議でたまらなかったと思うと同時に、

「J2って面白そうだな」

と思うようになった。

川崎フロンターレというチームに興味を持ったが、自分は川崎の人間ではなく東京の人間なので、心から応援できない。

だとしたらFC東京があるということになり、早速試合観戦してみようと思った。
私がFC東京ファンになるきっかけを作った、例の川崎フロンタ
ーレの手作り掲示板(JR南武線武蔵小杉駅)。

「東京!」と連呼するサポーターの姿に感動

 私が初めて試合観戦をしたのは、1999年10月24日の対川崎フロンターレ戦(等々力陸上競技場)

J2の終盤戦だった。
サポーターとしてもかなり新しいメンバーともいえるが、この試合が生まれて初めて観戦した試合である。
私はそれまでサッカーにはさほど関心がなかった。もちろん選手の名前は東京も川崎も知っている人は一人もいないという状況。さらに言えば現在の順位も知らなかった(実はこの試合はJ2優勝がかかった大事な試合だったのだが)。
 当日はFC東京側のゴール裏で観戦したが、その応援に感動した。
「東京!東京!」と連呼するのを聞いて、今まで単純に「好きだから」という理由だけでプロ野球の好きなチームを応援するのとは違った熱いものを感じた。

はっきりいえば東京出身の自分もそのメンバーの一人として戦っているような気持ちになれたのである。

この試合は点の取り合いの末、結局2対3で敗れたが、これを機に、私はホームゲームは全て観戦するようになった。