日本サブカルチャー

これは日本ではじまった

2007/11/13更新

ここではいわゆる「日本人による発明」で、特に全世界に広まったものを紹介。掲載されているもの以外にももっと日本人の発明はありますが、徐々に増やしていくつもりです。

*皆さんの情報提供お待ちしています!

が更新部分です。


現在の掲載

即席麺/電気釜/フロッピーディスク/八木アンテナ/味の素/アクリル/家庭用VTR/インスタントコーヒー/人工真珠/乾電池/オセロ/エレキギター/胃カメラ/クォーツ型腕時計/カッター


即席麺

 日清「チキンラーメン」は、1958年8月25日、安藤百福氏(現日清食品会長)の手により世に放たれた。戦後まもない頃、荒廃した梅田の闇市で、氏が見たものは、ラーメン屋台に列をなしている人々だった。
「日本人が大好きなラーメンを、家庭で簡単に作れればいいのに・・・」
「しかし、スープに手間がかかるし、めんも普及していない・・・」
と考えたのがきっかけだった。
昭和30年頃のこと、それまで営んできた事業に失敗した安藤氏は闇市を思い出し、大阪府池田市の自宅のうら庭に小屋を建て、家族と共に、家庭で簡単に作れるラーメンの開発を始めた。
一番苦労したのは、保存に必要な、めんを乾燥させる方法。ある日のこと、奥様が夕食の天ぷらをあげていたときにひらめきが・・・それが、瞬間油熱乾燥法。めんを揚げると、表面に小さな穴が開き乾燥、保存性が良くなる。
お湯を注ぐと、穴に熱湯が入ることで、めんの戻りも早くなる。
これがインスタントラーメンのしくみだ。
当時の値段は一袋35円。当時の平均月収が21,161円であるからかなり高かった。しかし、その手軽さは多くの注目集めた。この「チキンラーメン」は、現在のカップラーメンのように、熱湯をかけてできあがるというものだった。現在「袋ラーメン」と呼ばれるインスタントラーメンは基本的に鍋で作る。これを知らない人は、最初に今のような鍋で作るインスタントラーメンの方が先に発明されたと思うだろう。
 現在インスタントラーメンは全世界で1年間に430億食以上も消費される大ヒット商品となり、20世紀の日本の最大の発明であるといえるかもしれない。

電気釜

これは日本ならではの発明ともいえる。1955年、東亰芝浦電気株式会社が「自動式電気釜」を発売したのが始まり。それまではかまどに薪をくべて飯を炊いてきたのが、スイッチ一つで行えるようになるという、米を主食とする日本人にとって、まさに画期的な発明だった。
 発売時の価格は3,200円。当時の大卒初任給の3分の1に相当した。
 徐々にこれが普及し、保温機能が付けられるようになると、思いがけないものが売れ始めるようになる。それは何かというと、「ペットフード」!保温機能がつく前は、ペットを飼っている家庭では、残飯を与えるのが普通だったが、保温機能がついたことにより、残飯が発生しなくなった。これによりペットフードが売れていったわけ。これは開発者も予想外の出来事だっただろう。

フロッピーディスク

日本人発明家ドクター中松氏が発明したとされていることは有名。氏は記憶媒体として、それまでの紙製の記憶テープに代わり、紙製の磁気記憶円盤を考案。のちに、IBMがフロッピディスク(IBMでは”ディスケット”と呼んでいた)を作った時、磁気記憶円盤ということに関して先行特許権を認められた。このことから、フロッピディスクの発明者=中松氏とされるのである。

→とみたさんの情報提供(2005/06/20)
ドクター中松が発明したのはナカヒゾンという厚紙に磁気をつけて音声を保存する紙製のレコードのようなもので、フロッピーとはかけ離れたものです。トクター中松がIBMにねじこんでライセンスの一部を契約しましたが、基本的にはフロッピーを日本で販売する時に中松氏とトラブルにならないようにするものです。訴訟社会のアメリカでは日本では相手にもされないようなケースでも対処しなくてはいけないのです。

八木アンテナ

 世界中どこの家の屋根の上にも立てられている、いわゆる「テレビアンテナ」、これを八木アンテナと呼ぶ。八木アンテナは八木秀次と宇田新太郎という、東北大学においてアンテナの研究に従事した二人の工学者がすでに1926(大正15)年に特許を取ったとか。 
 第二次大戦中、連合国軍は爆撃機に 八木アンテナ をレーダーに使い、日本を圧倒したというのは皮肉な話。

味の素

うまみ調味料である「味の素」は、東京帝国(とうきょうていこく)理科大学(=現 東京大学)池田菊苗(いけだ きくなえ)博士が行った、コンブからでるうまみ成分の研究がきっかけで生まれる。研究の結果、うまみの主成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見し、1908年7月25日、池田菊苗博士はグルタミン酸塩を主要成分とする調味料製造法という特許を取得。この新調味料は「味の素」とネーミングされ、1909年に味の素本舗(ほんぽ)が発売、その年の12月に「味の素」は商標登録され、全世界で愛される調味料になった。

アクリル

透明プラスチックとでも呼ぶべきか、今やどこにでも使われている「アクリル」は日本の発明というのを以前テレビで見たことがある。従来はガラスを使用していたのをアクリルで代用できることにより、水族館の大型の曲線形の水槽などが作れるようになった。これについて詳しく知っている人がいたら教えてください。

家庭用VTR

家庭用VTRは、日本のソニーが世界で初めて製作。値段は19万8千円、重さは15kgであり、その当時2000万円もする放送局用VTRに比べて画期的に安く、テープレコーダーと同じくらい小型化されてい。家庭用VTRは、その後、ソニーの開発した「ベータマックス」とビクターの開発した「VHS」の2つの規格が争ったが、VHSが主流となり、現在に至る。

シャープペンシル

これも実は日本の発明。しかも現在大手家電メーカーの「シャープ」(当時は早川金属工業株式会社)創業者である早川徳次が1915年に発明。当時は「早川式繰出し鉛筆」といっていたが、世界各国で特許が取れ、注文が殺到したので名前を「鋭い」という意味を持つ「シャープ」とし発売をし、ボールペンが出現するまでの約30年間が全盛期となった。
家電メーカー「シャープ」の由来ももちろんこのシャープペンシルである。
ちなみに「シャープペンシル」というネーミングは外国では使われていない。アメリカではエヴァー シャープ ペンシル(Ever Sharp Pencil )という。

インスタントコーヒー

 インスタントコーヒーの誕生自体は意外に古く、前世紀に遡ることが出来る。1899年に、加藤サトリ博士によつて発明された。しかし、このインスタントコーヒーが初めて製品化されたのは海外においてであり、日本には1910年代になり初めて輸入されたとされるが、当時の日本に於てはコーヒー自体がまだ一般的ではなかった。
 普及したのは1956年にアメリカから輸入されてから。1960年には国産品が販売、以後大躍進的に普及していった。

人工真珠

人工真珠は、御木本幸吉によって発明された。 数多くの工夫の中から、ついにある物を玉状にしたものを核に使えばよいことがわかったが、さて、それは何?彼は、貝の中に封じ込めるつぶを使って実験を繰り返した。その結果、貝の殻を玉状にして真珠質の細胞で包み、それを母貝の表皮に植えつけることで、人工真珠が得られるようになった。
 彼は1個の真珠を得るために多くの貝を殺す従来の方法を改良することを試み、30000件以上のアイディアを生み出した。
 そして、その中から最良の方法を選び、「真珠素質被着法」として、1894年に特許を取得した。

乾電池

世界中で使われている乾電池も日本の発明。1885年、屋井先蔵の偉業である。時の電池は、液体状の電解液をガラス容器に封入したもので、取扱いには細心の注意を要し、冬には凍結のおそれさえあった。この液体を用いた湿電池をもっと手軽に使えるようにするために、“乾いた電池”はつくれないものか。先蔵はまだ見ぬその発明品を「乾電池」と命名し、その夢の挑戦を開始した。そして、電解液を紙に染み込ませるなどの苦心の末、明治18年、世界で初めて乾電池の開発に成功する。ときに先蔵、弱冠21歳のときのこと。
 同年、東京・浅草の長屋に「屋井乾電池合資会社」の看板を掲げ、世界初の乾電池“屋井乾電池”を発売した。が、まったくもって売れなかった。なぜか? 最大の理由は、乾電池を使って動かす肝心の製品が、当時の日本にはほとんどなかったからだ。
 そんな折りも折り、日清戦争が勃発。ときに陸軍は懐中探見電灯や携帯通信器の電源として、屋井乾電池に注目し、これを採用。ある日の号外に、戦地で乾電池なるものが使われ、多大なる戦果をあげている旨が報じられた。満州などの寒冷地において、凍結してしまう液電池に代わり、屋井の発明した乾電池が大いにその威力を発揮した。

オセロ(リバーシ)

これはかなり有名な話だろう。あの現在誰でも知っているボードゲームである。発案者は岡山県の製薬会社社員・長谷川五郎氏。最初は女子社員相手に、牛乳ビンのフタを2枚張り合わせ片面を黒くぬりつぶしたもので遊んでいたが、周囲で大好評となり、おもちゃメーカーのツクダオリジナルにこのゲームを持ち込み、1973年に製品化された。
 このネーミングは、英文学者で大学教授だった長谷川さんの父親・長谷 川四郎氏の命名。シェークスピアの名作『オセロ』にちなんだもので、黒人のオセロ将軍を黒石に、白人の妻デズデモーナを白石にみたて、両者の戦いという意味が込められている。
 1972年、帝国ホテルにて第1回全日本選手権決勝戦があり、ツクダ製オセロゲームは披露された。大会翌日にオセロゲームは全国一斉に販売され、1年で100万台が売れてしまった。その後も全世界にオセロゲームは広がり、世界大会も開催されるようになった。

エレキギター

一見外国生まれのように感じるエレキギター、実はこれは日本人の発明だった!しかも戦前!おそらくは1930年代半ばごろ、発明家政木和三博士によるもの。学生だった政木氏がある歌手のコンサートに行ったところ、ギターの中にマイクを入れて演奏しているのを見たが、雑音が多くてひどく耳障り。そこで政木氏は、磁石とコイルでギターの金属弦の振動を音にし、マイクを使わずスピーカーにつなげることを考えついた。 大東亜戦争が終わると、これが音楽業界に知れ渡り商品化され、外国からやってきたバイヤーが何本も買っていった。そして世界中のミュージシャンに広がるのにそう時間はかからなかった。

→とみたさんの情報提供(2005/06/20)
エレキギターの一般的に認められる発明者は「レスポール」という人物で政木氏が1930年に発明したうんぬんは彼の主張以外には証明できない話しですし、仮に事実であったとしても先鞭をつけた程度の話しみたいですね。

胃カメラ(2003/10/03に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

戦後、東大附属病院の外科医・宇治達郎の依頼を受け、高千穂光学(現オリンパス)の主任技師・杉浦睦夫らが開発。現在でも、胃カメラ販売でのオリンパスのシェアは圧倒的。

クォーツ型腕時計(2003/10/03に、読者の方より情報提供いただきました。ありがとうございます)

電気を流すと正確な振動を繰り返す水晶=クオーツクリスタルを使い、一日わずか0.2秒の誤差を実現した夢の時計。信州・諏訪の「諏訪精工舎(現セイコー)」が開発。昭和44年に発売されると、たちまち革命を引き起こし、今やクオーツは全世界の腕時計の98%を占めるまでになった。

カッター

繰り出し型で刃を折る方式の現在のカッターは、昭和31年、大阪の刃物メーカー「オルファ」の創業者、岡田良男氏(故人)が発明。当時、印刷会社に勤めていた岡田氏は、切れ味の鈍くなったカミソリやナイフがすぐに捨てられるのを疑問に思い、長く使える経済的なナイフを作ろうと研究開発。商品化すると、使い勝手の良さが口コミで広がった。 その後、アメリカの大手工具メーカーなどが相次いで市場に参入したが、岡田氏が考案した刃の形や切れ目はすでに広く普及しており、後発メーカーも採用する世界標準となった。

栄養ドリンク

大正製薬のリポビタンDを始めとする、日本ではおなじみの栄養ドリンクは日本の発明だが、このリポビタンDですら、世界では10カ国で販売しているにすぎない。
ところが、オーストリア発の清涼飲料水として日本でもかなり知られるようになった「レッドブル」は、エナジードリンクとして世界最大級の市場規模を持ち、現在世界130カ国で販売されている。実はこのドリンク、リポビタンDを飲んだ社長が、「なんてすごいんだ!」と感銘を受け、これをヒントに作られたもの。
(雑誌「SAPIO」2007年10月24日号「LOOK JAPAN」の森永卓郎氏の論文より抜粋)

モノづくり・特許出願件数

世界知的所有権機関(WIPO)の最新発表によると、05年の特許出願総数は約165万件で、そのうち最多の42万7078件が日本に出願された。受付国別ランキングでは日本国内居住者だけでもダントツで首位。さらに次世代産業の担い手として期待される開発は、ロボットだが、これも日本の独壇場であす。04年に世界で販売された産業用ロボット9万5000台のうち、約4割に当たる3万7000台が日本製。稼働台数でも2位のアメリカの3倍以上の差がある。
建設技術では、世界一の超高層ビルは現在、台湾の「台北101」(508m・地上101階)だが、このビルも世界トップレベルの防震・暴風ノウハウを持つ日本企業の技術で建てられた。施工は熊谷組を中心としたJVが担い、鉄骨工事は新日本製鉄。さらに、このビルに設置された東芝製のエレベーターは、世界最速の時速60.6kmで上昇する。
土木技術において、トンネル掘削は世界一頼りにされている技術である。青函トンネル(53.85km)が世界最長であることは世に知られているが、94年にイギリスとフランスをつないだ英仏海峡トンネル(49.4km)工事でも、日本の川崎重工と三菱重工の掘削機が活躍した。このうち、フランス側かわ海底部を掘り進んだ川崎重工のトンネルボーリングマシンは、地盤が軟弱な難工事を予定よりも8か月も早く完了し、同時に逆側から掘り始めたイギリス担当分を4kmも手助けした。掘りやすい地盤を担当した上、遅延したイギリスのメンツは丸つぶれで、貫通後は、川崎重工の機会だけが功績をたたえられ、海底部に埋められることなく展示された。
(雑誌「SAPIO」2007年10月24日号「LOOK JAPAN」の編集部による記事より抜粋)

美術展動員数

イギリスの美術専門紙「アートニューズペーパー」の調べによると、06年展覧会の1日あたりの観客動員ランキングは、1位が「若沖と江戸絵画展」(6446人)で、2位が「藤田嗣治展」(6324人)。また、この2展がルーブル美術館やニューヨーク近代美術館などの企画展を上回ったばかりか、10位までに5展を日本勢が占めた。かつては日本人は「エコノミックアニマル」などと揶揄されたが、実は世界一の美術好きである。
(雑誌「SAPIO」2007年10月24日号「LOOK JAPAN」の編集部による記事より抜粋)