2026/11/2現在の自己紹介
| |
![]() |
| 2001年7月の多摩川いかだレース 左にいるのが管理人 | 2026年 隠岐の島ウルトラマラソンにて |
徳永 健(とくなが けん)
第二次ベビーブーム & 就職氷河期世代
「最も不幸な世代」で検索すると大体はこの世代がヒットします。
狛江第一小学校。旧校舎時代のため建物は存在せず。
そのためか旧校舎への思い入れは強い。4年次に創立110周年でした。
今自己評価すると、低学年時は「落ち着きのないガキ」、高学年時は「ませガキ」でしたね。
近所に同年代の友達が結構いたので、自宅前で草野球をやったり、みんなで駄菓子屋に行ったりしていました。
夏はクワガタ採りが楽しかった。
狛江第三中学校。
中学校時代はかなり自分を作っていましたね。
今考えると恥ずかしい。
それだけに中学校時代は思い出したくない思い出の方が多かったりして。
一応名前だけ野球部に所属!?
3年次の合唱コンクールではなんと指揮者をやりました。
千葉県市川市にある市川高等学校。
当時は男子校だったが平成15年より共学化(FC東京のように男くさいところが好きだったので残念)。
受験日が早く、「度胸試し受験」で有名?な高校。私は最初ここに受かって安心してしまい、他は全て落ちました・・・。
狛江から1時間半かけて通っておりました。
水泳部に所属。朝練や試合の日は始発に乗って行きました。
さらに2年次に全国高等学校クイズ選手権で千葉県の決勝にうちと合わせて2チームが進出(しかもうちのメンバーの一人は現在FC東京サポーター!)!
その勢いでクイズ研究会を創設(私は水泳部と掛け持ち)。現在も多分あります。
クイズ選手権には3年連続出場し、全て1問目突破したのも自慢。
2年次は文化祭実行委員長もやりました
。とにかくいろいろなことに燃えた高校時代。今振り返ってもまさに人生の黄金時代でした。
その黄金時代の舞台を作ってくれた市川高校は私にとって世界で一番すばらしい学校と自信をもって言えます。この学校をいい学校にするのも悪い学校にするのも全て本人次第。
だから卒業生のこの学校に対する評価は両極端です。狛江でここを卒業した人います??
青山学院大学法学部公法学科。
1995年卒業。大学受験の際は「浪人はしない」との決意の下、現役生としては多めの11学部を受験。
ところが11学部目の受験の時点で発表のあったところは全て不合格・・・・。
浪人を決意し予備校や参考書探しをしていたところ、土壇場でひっかかる。
結局3勝8敗でした。
大学時代は部活動とゼミに力を入れておりました。
体育会洋弓部に所属。別にアーチェリーに興味があったわけではなく、勧誘されてその流れで入っちゃったという感じだったが結構はまり、社会人になってからも試合に出ました。
今も一応現役のつもり(休止中ですが・・・)。
ゼミでは憲法学を専攻。
日本國憲法は大きく分類すると「人権」と「統治機構」に分けられますが、私が特に関心があったのは「統治機構」、いわゆる政治分野の方。
だから現在も政治と憲法には結構興味があります。
3年次は「肩書き」だけはすごい人間でした。
体育会洋弓部副将・関東学生アーチェリー連盟競技運営委員会副委員長でもすごいように見えて実際はすごくありません。
洋弓部副将を除いてはハリボテのような肩書きです、はい。
会社員。
メーカー勤務。
左の写真は社会人になって、大学に遊びに行った時のものです。
FC東京以外では、デジタル一眼レフ、サブカルチャーネタ(特にガンダムとウルトラセブン)。
それと政治にも興味がある(一応法学部だったので)。さらに大学時代やっていたスポーツである「アーチェリー」。いつかまたやる予定。
東京出身だから。詳しくは「俺の東京」コーナー参照。
99年10月の川崎フロンターレ戦(J2優勝がかかった大一番)をなんとなく観戦に行って、「東京!!」コールをし、負けてからも「You'll never walk alone」をひたすら歌い続けたサポーターの姿に感動。
詳しくは「俺の東京」コーナー参照。
アマラオ
泣く子も黙るKING OF TOKYO。彼が現役の時の活躍をリアルで観られたのはいつか大きな自慢になる!
石川直宏
日本人のレジェンド選手と言えば彼。駒沢のFC東京デビュー戦と引退試合の両方をリアルで観ました。
徳永
同じ苗字の人間として応援するのは当然!!
11番(99年・01年バージョン)→アマラオがつけていた番号というわけで。
12番(05年バージョン)→12番目の選手というわけで、11番以外を初めて付けました。当ページの写真の通り、私の苗字「TOKUNAGA」のネームを入れております。見かけたら