2001/05/27開設
このコーナーは、管理人がこれまでサブカルチャー掲示板に書き込んだコラムをそのまま掲載したものです。
小さい頃地元狛江ではやった替え歌(2000/10/23)/今こそ「あばれはっちゃく」と「スクールウォーズ」を復活させるとき!(2000/10/29)/とうちゃん、ありがとう(2000/11/17)/駄菓子屋について(2000/12/03)/今でも色あせないシリーズ パート1「機動戦士ガンダム」(2000/12/13)/今でも色あせないシリーズ2「手塚漫画」(2001/01/04)/全国高等学校クイズ選手権、そしてクイズ同好会創設/ドラえもんとガンダムのおもちゃについて
1.「およげ、たいやきくん!」の替え歌
「まーいーにーち、まーいーにーち、しんぶん!」
→小学校3年くらいのころみんなで歌っていた。今思い出しても面白い・・かな。
2.お正月の歌
「もーう、いーくつねーると、お正月、お正月には餅食って、腹をこわして死んじゃった。はーやく、来い来い霊柩車」
かなりブラックユーモアだが、私が幼稚園時、おじいちゃんが死んだお葬式の時に霊柩車の前で、いとこ同士でこの歌を歌った覚えが・・おじいちゃんごめんなさい。なんといっても私は幼稚園だったので死んだことがよくわからなかった。今にして思うとこれは究極のブラックユーモアだったな。でもこの歌、狛江だけで歌われたっわけじゃないと思いますが。
3.ひなまつりの歌
明かりをつけましょ爆弾に
お花をあげましょ毒の花
5人ギャングにさらわれて
きょうは悲しいお葬式
私が小学校卒業くらいまでは、熱いテレビドラマが多かったですね。
今のような人気タレントのキャラクターを生かすようなトレンディドラマではなくて、とにかく情熱で視聴者の心を動かすようなドラマが・・・。
その代表として私は「あばれはっちゃく」「スクールウォーズ」を挙げたい。
「あばれはっちゃく」
昭和54年〜60年あたりまでテレビ朝日系で毎週土曜日夜7時半から30分間放映。初代〜5代目あたりまで続いた実写のわんぱく小学生のドラマ。
主人公・桜間長太郎は、おちこぼれのガキ大将で、そのあばれっぷりから両親を悩ませることもあったが、本当は心優しい熱血漢!今にして思うと結構感動的なストーリーが多かった。
同じ時期にTBSで「けんちゃん」シリーズもあったが、こちらはどちらかというと「家族愛」的なストーリーで、原作者の意気込みは「はっちゃく」の方が断然強い。
この2つのドラマ、実はかなり狛江で撮影していたんですよねー。
ケンちゃんシリーズはほとんど狛江で、西河原公園でロケをしているのをよく見ました。
しかも登場人物の1人は僕と同じ狛江一小の1つ下にいて、2年生のはじめにはみんなで彼のクラスを見に行きました。
一方、はっちゃくは初代・二代目は狛江でメインに撮影をやっており、二代目の「男あばれはっちゃく」の主人公はどうやら調布在住らしく、何度か見たことがあります。
一度は調布にあったファミレス「すえひろ5」で、ゲームウォッチをやりながら席が空くのを待っている姿を見た姉が「はっちゃくだー」と言ったのですが、無視されました。残念。
僕にとって「はっちゃく」の最高傑作は二代目の「男・あばれはっちゃく」ですが、その次は4代目の「痛快・あばれはっちゃく」。痛快の主人公は当時私と年が一緒の設定だったんで、「やっとはっちゃくと一緒の歳になったー」とうれしかったのを覚えています。それまでは「お兄さん」的存在で見てましたからね。はっちゃくを。
「スクールウォーズ」
これは泣く子も黙る青春ドラマの最高傑作!!昭和59年、毎週土曜日夜9時から放映していたいわゆる大映ドラマ。
これに関しては説明するまでもないだろう。何度も再放送が繰り返され、ついに先日DVD化が決定したらしい。
私もこれを見て何度も泣かされた(特にイソップが死ぬ時。裏話だがイソップは現在アートネイチャー勤務のサラリーマンをやってます)。ストーリーなど詳しくは下記のここを参照下さい。
このスクールウォーズ放映時、私は小学生だったため、高校生である登場人物を「お兄さん」という目でしか見られなかったが、ついに平成2年、パート2の放映が決定。当時私は高校3年で、受験勉強・部活と、熱い高校生活を送っていた中、私と同世代の登場人物が出るということでものすごい期待をしたものだが、高等教育課程を設けた少年院が舞台というあまりに非現実的な設定と、視聴者を無理矢理感動させるような演出がたたったせいか、年明けにものすごく中途半端な最終回で終わってしまった。残念無念。
私の私見ですが、以上のドラマは「学級崩壊」が騒がれる今こそ放映されるべきだと思う。現状は「がむしゃらに熱く燃える」ことが「ダサイ」という風潮(特にテレビドラマに関して)まであります。
時代にそぐわないドラマと言う人もいるかもしれませんが、「何かに熱く取り組んで、決して最後まであきらめない」ということを私に教えてくれたのは、この2つのドラマでした。今の小中高生に是非見せたいですな。ちなみにスクールウォーズは10年前録画した再放送のビデオ持ってますよ。
「あばれはっちゃく」シリーズで、ずっと父親役をやってきた東野英心さんが亡くなられました。享年58歳。
「こぉの、大バカヤロー!」「おまえの馬鹿さ加減にはとうちゃん情けなくて涙でてくらい!!」のセリフが印象的でした。
前にも書きましたが、このドラマでは父ちゃんがはっちゃく(桜間長太郎)を投げ飛ばすようないわゆる「暴力」シーンが毎回のように見られました。今このようなドラマはなかなか放映しにくくなっている現状があります。
でも、このドラマ中の「暴力」は父親の息子への愛情(たまに父親の誤解もありましたが)から来る「暴力」だったと今の私は思っています。
単に子供が欲しいものを買い与え、甘やかしてやるのが「愛情」ではなく、時にはやさしく、また時には厳しくなれるのが本当の子供への愛情であるということをこのドラマを通して学んだと、今になって思っています。
私も父親になったら、そういう「愛情」を持って子供と接していきたいと、東野さんが亡くなられたのを知って、改めて思いました。
本当にありがとうございました。葬儀にはきっと歴代のはっちゃく達が全員参列したんじゃないかな。
ちなみに東野さんは「中学生日記」では教師役を長年つとめ、さらに昭和49年放映の「ウルトラマンタロウ」では「ZAT(zariba of all territories)
」の副隊長役でした。隊長役は名古屋章で、この隊長は出撃する隊員を決めるときに「ゆうべカレー食べた奴」などと言ったりと、ギャグ連発の隊長だった。ちなみに主役の東光太郎役は篠田三郎。
「狛江に駄菓子屋文化を存続させる会」発起人の私M1の名文を抜粋。自画自賛ですが。
「この会の発起人です。幼稚園・小学校時代から岡田屋・チャイルド・横山商店などに通っておりました。学校の先生から「買い食い禁止令」などが出ながらも、ずっと通いつづけていました。
駄菓子屋にはカツアゲにあう危険や無駄遣いの原因になるなどのマイナス面は確かにあります。
しかし、駄菓子屋にはそういう面を補って余るくらいの得るものがあるとボクは信じています。
ボクの小さい頃は、駄菓子屋こそが学校が終わってからの友達との遊び場にもなり、そして全く面識のない他の小学校の児童と知り合うことのできる、コミュニケーションの場でもありました。
現在のように、子供に1つ5000円以上するゲームソフトなどを買い与え、家でこもっているより、100円玉1枚与えて駄菓子屋へ行って友達とコミュニケーションを取らせる方がどれくらい健全かと考えております。
このままではボクも将来子供ができたら、かつてボクが味わった少年時代の楽しみを味わわせてやれなくなってしまいます。
現在は、デパート・量販店などに、「なつかしの駄菓子屋」などというしゃれたお店が存在し、人気もあるようですが、あれはかつて駄菓子屋に親しんだ大人をターゲットとしたお店であり、本来の駄菓子屋の姿ではありません。ボクの考えでいえば、駄菓子屋は子供に愛されてこそ駄菓子屋なのです。
ボクらの町の駄菓子屋に子供達が集まって楽しんでいる姿をこれからも絶やさないために、町の駄菓子屋文化を存続させることは、かつて駄菓子屋にお世話になっボクたちの、せめてもの「恩返し」です。
」
これに対する皆さんのご意見をお待ちしています。もちろん「狛江に駄菓子屋文化を存続させる会」のコーナーにも行ってみて下さい。
ガンダムはすごい!昭和54年(今から21年前)の放映でしたが、今見てもまったく色あせしないドラマ!!そのすごいところを列挙しましょう。
1.人間同士の戦い
それまでのロボットアニメは宇宙人などの悪党と正義の味方の戦いだったが、ガンダムは人間同士の「戦争」。だからどちらが正義とはいえない。ここに決定的な違いがある。
さらに主人公の乗る「ガンダム」はあくまで兵器である。
2.兵器のリアルさ
ガンダムなどの人型兵器の総称を「モビルスーツ」と呼び、それぞれ「MS06F」などのような正式名称を持っているところもすごい。
しかも同じタイプのモビルスーツが大量に出現するのに当時は驚いたものだ。「量産型」という言葉も当時は新鮮だった。
3.科学的にもすごい
まず、このストーリーで登場する「スペースコロニー」について
人工的に重力を発生させることは現代技術では不可能。「ヤマト」や「マクロス」では、「重力制御システム」などともっともらしい言葉を使い、人口重力を発生させていたが、科学的な説明は全くされていなかった。
しかしガンダムは違う!
円筒状のスペースコロニーを回転させることによってその内壁部分に遠心力を発生させ、疑似重力を作り出すとしっかり説明されていた。
だから宇宙を飛ぶホワイトベース内ではみんな中に浮いていた。実はこのスペースコロニーは、現代技術でも十分製造が可能。資源調達の問題などはあるが。
さらに宇宙空間でこんな巨大建造物を造るとすれば、当然ロボットが必要になる。それがモビルスーツになったという説明もできてしまうのがすごい!
ただ、ホワイトベースが地上すれすれの所を低空飛行できるのは「ミノフスキークラフト」のせいだとか、科学的に説明がしにくい部分は全てミノフスキー粒子のおかげだとしているのは気になったけど。
3.設定がリアル。
アニメではあるが、設定はスターウォーズなんかよりもはるかにリアル。
ヤマトでは太陽系が庭のような感じだったが、ガンダムでは月周回軌道内が活動範囲というのもリアル。
人類が宇宙に住むようになり、宇宙に住む人が、遠く地球からの支配に不満を持ち、独立戦争を起こすのがこの一年戦争の発端だが、これももし現実に人類が宇宙にも住むようになれば、そういう問題はきっと起こると思う。いやーリアル。さらに「南極条約」「中立コロニー」など、戦時国際法を思わせる場面があるのもすごい。
子供じゃこんなのわからないよね。
というわけで、ガンダムはすごい。また何かすごい点思い出したら書き込みます。
ちなみに僕が好きなキャラはシャアとセイラです。
私の尊敬する人物の一人に「手塚治虫」がいる。
中でも「ブラックジャック」が一番。その次に「アドルフに告ぐ」かな。
「ブラックジャック」については誰も知らない人はいないだろう。
無免許医師が主人公という異色漫画だった。私が好きなのはこの主人公から「さりげない正義」が読み取れるから。
ブラックジャックは、その容姿・行動からも「陰」の部分が強いが、金持ちからものすごい金額の手術料を取るが、貧乏人からは1円もとらないことや、本当は人一倍正義感が強いがそれを表に出さないところがかっこいい(最近私はビートたけしにもそれを感じる)。
特に印象に残ったのは第1回連載と、もう1つはあるトラック運転手が運転中にすし職人をひいて、両腕を失わせてしまい、その運転手がすし職人の跡を継ぐ話。その他にもいい話、考えさせる話が多かった。
せりふも印象的なものが多く、特に印象的なのは「医者は人を治すんじゃない!人を治す手伝いをするだけだ!治すのは本人なんだ!本人の気力なんだ」(20巻)や「死ね!大自然の美しさをわからないものに、生きる値打ちなどない!」(忘れた)などのセリフ。
手塚治虫は医学博士らしく、すごい専門知識があふれていて、少年漫画に連載していたとは思えない内容だった。
「アドルフに告ぐ」は「ヒトラー=ユダヤ人説」(かつて落合信彦かぶれだった私は「ヒトラー生存説」を今も信じています)に基づいた、3人のアドルフについての漫画。
最終巻の峠のセリフ、「由季江、死ぬな、やっと戦争がおわったんじゃないか」のシーンで、私は生まれて初めて漫画を読んで泣きました。
手塚治虫に関しては語りたいことありありなのですが、長々と書いても読んでもらえないのでここまでにしておきますが、最後にこれだけは。私は高校1年次、ブラックジャックにはまってしまい、クラブの練習の休憩時間中などに部員のみんなに貸したりして「洗脳」してましたねえ。そしてそのはまり具合最高潮の真っ最中、「手塚治虫死去」のニュースが。
これは悲しみました。
確か便箋5枚分くらいのお悔やみ状を書いて、手塚宅に送りましたが、親族からしっかり返事が届いて、今でも持っています。
何年後かに同じ漫画家の長谷川町子が亡くなって、国民栄誉賞を受賞した時、「じゃあ、なんで手塚は受賞できないんだ」とものすごく疑問でした。
でも、「ブラックジャック」の中で、ある登場人物がブラックジャックに「国民栄誉賞あげるから」と言ったのに、「私は、肩書きってものが大嫌いでねえ」と答えたシーンがありました。
これは手塚治虫本人の考えだと、今は思っています。
私はこのクイズ選手権に、高校時代3年連続で出場しました。
私は狛江に住んでいましたが、高校は千葉県の某私立男子校に通っていました。
これには自慢話があります。まず、3回とも1問目は通過したこと。そして2年次は千葉県の決勝まで進出しました。
3人一組で出場で、メンバーは毎年異なりましたが、2年次は一人すごいインテリがいたので彼のおかげでした。
まず、2択のYES NOクイズを通過し、準決勝のペーパークイズも通過。そして決勝の早押しクイズまでといった段階でした。うちの高校からは他の友達のチームと2チームが決勝進出しました。
準決勝になるともうウキウキ状態でした。
なんといってもあこがれの福留アナと話ができましたから。ペーパークイズ通過発表の時はもうメンバーと抱き合って喜びました。しかし決勝の早押しで敗退。残念だったけど、早押し台に立っていることだけで思わず昇天といった気分でした。
その後、決勝まで進んだメンバー同士で「クイズ同好会」を創設。
私は水泳部にいたため、あまり活動しませんでしたが、11年経った今でも残っています。
創設メンバーというのはうれしいものです。
「FC東京を応援する狛江人の会」もそういう醍醐味がありますよね。
これからの努力次第!
それと、この年の高校生クイズの首都圏特集番組で、都立国立高校のクイズ研究会の特集がやっていました。
国立といえば私の学校ではトップレベルの都立高校でしたが、私は内申が至らず、受けられませんでしたので、結構むかつくーと思いながら観ていましたが、なんと結果は3問目で敗退!
このときは思わず心の中で「勝ったぞー」と思いました。
ドラえもんといえば、もう日本人なら誰でも知っているキャラクターで、子供のみならず、大人からも愛されている。
ドラえもんは漫画連載は昭和46年からスタートしていたが、昭和54年のテレビ放映(平日は18:50〜19:00、休日は9:30〜10:00)で大ブレイク。私が小学校(一小)入学と同時に放映がスタートしたため、小学校6年間、ずっとドラえもんと付き合っていた。
当時のドラえもん関連のおもちゃメーカーはポピー(後にバンダイに吸収だったかな)。
「ガチャガチャドラえもん」などのおもちゃがあったが、私の親はおもちゃはほとんど買ってくれなかったため、おもちゃ屋でずっと眺めていたものだ。
ところが、数年前にドラえもんの版権はバンダイからエポック社に移行した。
一方ガンダムは、ドラえもんと同じ昭和54年にテレビ放映が開始されたものの、放映期間中は全く視聴率がとれず、早期打ち切りとなった。
当時の版権を持っていたおもちゃメーカーは、クローバーという会社だったが、放映終了後、バンダイに版権をゆずり、その後倒産。
そしてガンダムは一部のアニメマニアからの評価が高く、宇宙戦艦ヤマトと同じく、放映終了後にブレイクし、バンダイから発売された、いわゆるガンプラが大人気で、私も狛江市内のホビークラフトセンター(狛江サブカルチャー参照)の前に並んだものだ。
後にファミコンブームが起こり、バンダイからドラえもんやガンダム関連のゲームが発売されたが、はっきり言ってドラえもんもガンダムもそんなによく知らない、というよりそれの真の面白さのわからない大人達が子供向けに作ったもので、今思うとこういうキャラゲーに限って全く面白くなかったものだ。
ところがあれから20年近く経った今のバンダイのガンダムグッズはすごい!
特にテレビゲームの「ギレンの野望」シリーズなんかはメチャクチャマニアックで、ターゲットは間違いなく我々20代後半〜30代前半のいわゆる「ガンダム世代」である。
最近は「ガンダムゲームは間違いなく面白い」というような認識まで生まれるほど、ガンダム系のゲームのできがいい。というより我々の世代が買わずにはいられない気にさせてくれるのである。
プラモデルもマスターグレードシリーズなんかはかつてガンプラを作ったことのある人ならもう買わずにはいられないくらいのすごい出来である。
特にパーフェクトグレードシリーズなどは1個12000円もして、あきらかに対象は大人である(ちゃっかり私は2年前にパーフェクトグレードザク2を買っちゃいました)。
ここで思うのだが、今のバンダイのこういう商品を作っているスタッフというのは、かつてガンダムが大好きだった人々に違いない。
ゲームをやっていたりすると、その気持ちがすごくよくわかる(特にギレンの野望で、ドムに乗ったランバ・ラルが、「グフとは違うのだよ!グフとは!」というセリフにはもうメロメロ・・)!
今、バンダイが元気になってきたのがものすごいわかる。
一方、現在のドラえもんの版権を持つエポック社のゲームは、相変わらず子供が対象で、ドラえもん世代である我々は全く買う気もしない。
やはりエポック社はまだバンダイのようになりきれていないのである。
私だったら絶対に大人向けのドラえもんのゲームやおもちゃを発売する!
かつてドラえもんが大好きだった世代のエポック社社員達よ!立ち上がるのだ!
おもちゃは子供のためだけではない!1万円くらい平気で使える我々大人をターゲットにした方がもうかるぞー!
現に小さい頃親が全くおもちゃを買ってくれなかった私の今の趣味の一つに「おもちゃの大人買い」がある。全国のお父さん達!子供にやたらおもちゃを買い与えると、将来の「大人買い」の楽しみを味わわせてやれなくなるぞ!子供は家にこもってゲームをさせるよりも外に出して暴れさせなさい!
ゲームなんか大人になったら思う存分出来るぞ!
でも近所の友達とみんなで遊んだり、駄菓子屋に行ったりするのは今のうちしか出来ない!
私が断言しよう!外で遊びまわる子供の方が、家にこもる子供よりも、強くて立派な大人になれる!!
ドラえもんネタから話がそれちゃったけど・・